旧myroom(香港電影的日常 '01/2/17〜'06/1/29)より移転。

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『カラテ大戦争』 [2006年09月17日(日)]

『カラテ大戦争』'78年製作、監督:南部英夫、主演:真樹日佐夫

 原作は'74年11月から'79年12月まで、足掛け5年に渡って、月刊少年マガジン誌に連載された「空手戦争」。作画は守谷哲巳だったが、原作は梶原一騎と大山倍達。
 原作ファンでも誤解している人が多いのだが、これは大山倍達その人についての漫画なのだ。ようするに、かの有名な「空手バカ一代」のバリエーションなのである。決して、極真会館を思わせる団体をモデルにした“極限流”の大神達也(漫画の主人公)が、大山倍達をモデルにした師匠の東坊徹源の元を飛び出し、世界空手旅に出かける物語ではないのである。あくまで大神=大山なのだ。

 原作漫画「空手戦争」には副題があり、「世界ケンカ旅行〜空手戦争」というのが正式のタイトルで、これこそ、大山倍達初期の自伝「世界ケンカ旅行」の漫画版であるという証である。ちなみに、この「世界ケンカ旅行」も、「けんか空手・世界に勝つ」のバリエーションなのだが・・・。

 今ではこの“自伝”なるものが、ほとんどゴーストライターによってでっち上げられた“嘘八百”の物語りであったことは、極真信者以外の方(←ここ、重要!)ならご存知であろう。
 その大山のゴーストであった人物が、誰あろう、映画『カラテ大戦争』で主役を務めた真樹日佐夫その人なのだ。

 昭和16年6月、東京に生まれた高森真士(真樹の本名)は、「巨人の星」「あしたのジョー」の原作者・梶原一騎の弟としても有名だろう。極真本部道場師範を務めた実績もさることながら、早大卒であるという点を大山に買われ、兄・梶原一騎と共に“大山伝説”を作り上げた張本人として、その名を残したといえるだろう。極真ファンにとっての名著「けんか空手・世界に勝つ」は、全くゼロから真樹が書き上げたもので、大山本人より“何でもいいから、とにかく面白くしてくれたまえよ、キミィ〜”とお墨付きを貰った。その「けんか空手・世界に勝つ」が「世界ケンカ旅行」となり、漫画「世界ケンカ旅行〜空手戦争」を経て、映画『カラテ大戦争』となった訳だから、その主演を務めたことは、真樹日佐夫本人にとっても本望であったろう。

 原作が開始された'74年といえば、世は第一次ドラゴン・ブームの真っ只中である。映画の公開された'78年3月4日といえば、『死亡遊戯』の公開(78/4/15)を1ヵ月後に控えた時期であり、この作品が、最後であろう第一次ドラゴン・ブームの総決算に便乗して製作されたことは間違いない。原作の終焉が'79年12月だったというのも面白い。ジャッキーが『酔拳』で登場するのは'79/7/21。続いて同年12月には『蛇拳』も公開され、やがて時代は軽薄短小の80年代へと移り変わっていく。

 アントニオ猪木VSウィリー・ウィリアムスが行われたのが'80年2月であり、やはり梶原が原作で仕掛けた漫画「四角いジャングル」が、現実と漫画の世界が同時進行でリンクするという、壮大な仕掛けのグランド・フィナーレとなった。これを最後に、汗にまみれた男臭さがウリの梶原イズムも、80年代の風景にそぐわないものとして急速にその求心力を失っていったような気がしてならない。映画『カラテ大戦争』も、そんな時代の徒花として見事に散ってみせたのだと、今は思いたい。

 ところで、真樹日佐夫の実力に関しては、昔から極真ファンの間でも論争のタネとなっている。仮にも本部道場の師範代を務めた人物である。いくら大山が金に汚くとも、真樹に何の実力もないとしたら、本部の師範代など任せるものだろうか?極真にとっての最大のセールス・ポイントは実力主義であったことで、これこそが極真の心臓部であることは、利に長けた大山なればこそ分かっていたことのはずだ。

 真樹の実力判定にも関連するが、この映画には製作途中に面白いエピソードがある。

 映画撮影途中、ロケ先のタイでクーデターが起こり、撮影スタッフの元に日本からの送金が届かなくなってしまったのだ。当然、映画製作は中止、空港も閉鎖で出国も出来ず、金の尽きた日本側を救ったのが真樹日佐夫だったといわれている。
 映画では真樹扮する大神のライバル・キング・コブラを演じたダーム・ダサコーンは、実際にムエタイ経験があり、当地の興行主と真樹が懇意だったこともあって、真樹に草ムエタイを持ちかけたという。
 真樹はその草ムエタイに出場し、自分に掛け金を賭ける事で、日本側スタッフの滞在費や製作費を捻出したという。その時、真樹がとった必勝の策は“金的攻撃!”であったそうで、まあ草ムエタイならではであろうが、それにしても期待を裏切らない素晴らしいエピソードである(笑)。

 旧政府の文化庁に没収されかかった撮影フィルムは、真樹と撮影スタッフで夜明け前の空港に忍び込み、先にフィルムだけ隠しておいてから改めて搭乗手続きをしてタイを脱出。この決死のエピソードだけでも、ごはんおかわり出来そうだが、完成した映画にその情熱は届かなかった・・・・。

 この賭け試合に連勝したからといって、真樹の実力か測れる訳ではない。それに真樹本人も田舎の草ムエタイと認めている。ただ、問題はその決まり手が“金的攻撃”であった点だ。
 ある極真の古老はこう証言する。

 「真樹さんの空手の実力はさておき(笑)、確かに彼はケンカには強かったよ」

 競技としての格闘技の実力と、路上のケンカにはあまり相関関係がないことは、普段ケンカはしない人や、格闘技経験のない人でも聞いたことがあるだろう。ケンカはケンカ、格闘技は格闘技なのだ。

 別の古老はこうも証言する。

 「真樹さんの得意技は、鎖骨への手刀、喉輪、“金的”だった・・・」

 “金的”!まさにタイの草ムエタイで真樹に勝利をもたらした技ではないか!

 もちろん、これらの証言があったとしても、やはりその実力は、当時の極真会館で真樹日佐夫と汗を流しあった人間にしか判らないだろう。
 そもそも、タイのエピソード自体が本当であるという保証はないのだから。そこはそれ、やはり“極真イズム”の源流を作った張本人でありますから(笑)。

 最後に、映画『カラテ大戦争』は'78年3月4日、松竹系列の映画館で公開されたのですが、その時の同時上映はショウブラザース作品にして世界のカルト映画『猩猩王/北京原人の逆襲』であったことは、是非にも付け加えておきたい。

 極真ミーツ、ショウブラ!・・・嗚呼、これぞ素晴らしき哉、昭和のいち風景。
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