『鰐魚頭K殺星/鉅鑽風雲』 [2006年10月15日(日)]

『鰐魚頭K殺星/鉅鑽風雲』'78年製作、監督:李作楠、主演:JIM KELLY

 * タイトルの“鰐”並びに“殺”の字は、いずれも旧字体が正字。

 英題は『The Tattoo Connection』だが、欧米では『Black Belt Jones 2』として知られている。これは、ジム・ケリーが'74年に主演した『黒帯ドラゴン』の原題が元になっている。本作は別に続編ではない、共通点といえばジム・ケリーが主演していること、そして両作共に『燃えよドラゴン』の匂いを残しているというところか。

 『黒帯ドラゴン』は、正しく『燃えよドラゴン』のスタッフによって作られた作品である。製作のフレッド・ワイントロープ、ポール・へラー、監督のロバート・クローズまで同じ、配給もワーナー・ブラザースだった。
 そもそも『燃えよドラゴン』にジム・ケリーがキャスティングされていたのは、当時の世相が黒人台頭の世だったからで、映画界も黒人スターたちによる“ブラックスプロイテーション”に席捲されていた。
 当時のアメリカで、香港映画を含むこれらB級アクションを支えたのは、当の黒人観客を主流とするヒスパニックら有色人種で、ワーナー極東配給担当・リチャード・マーが、チャイナタウンの映画館でショウブラ映画に熱狂している、アメリカ人観客の姿に衝撃を受けたことから、ワーナーによって『燃えよドラゴン』の製作が開始されたことが、歴史の始まりなのだ。

 『燃えよドラゴン』が大ヒットを記録して後、同スタッフ・キャストによって作られたのが『黒帯ドラゴン』で、白人スターのジョン・サクソンではなく、ジム・ケリーを主演に抜擢した事実が“ブラックスプロイテーション”の時代を物語っていた。

 ケンタッキー州にあるルイズビル大学で、パーカー・シェルドンより空手を学んだジム・ケリーは、'71年にインターナショナル・トーナメントにおいて、ミドル級のタイトルを獲得。もとよりスポーツ万能だったケリーは、野球、フットボールなど別の道に進む手もあった。だがケリーは空手家を選択、ロスに道場を開くかたわら、190cm近い長身を生かし、雑誌のモデルやCMタレントとして活躍していた。
 彼が『燃えよドラゴン』への出演キップを掴んだことで、“ブラックスプロイテーション”とマーシャルアーツ映画の人気が、思わぬ相乗効果を生んだ。現在に至るも、アメリカ国内でマーシャルアーツ映画の人気を支えているのは黒人観客層である。

 『鰐魚頭K殺星/鉅鑽風雲』は、『燃えよドラゴン』とも『黒帯ドラゴン』とも直接の関わりは持たない。だが、ジム・ケリーが出演し、香港へ訪れることが、嫌でも連想させるのも事実だ。唸るほど面白い映画でもないが、ベテラン李作楠の手堅い演出が、この映画を佳作にしている。

 香港で奪われたダイヤモンドの行方を捜して、ジム・ケリーが香港へと飛ぶ。ケリーは、秘密を売ろうとして殺された組員・梁小熊の身体にあった刺青を手がかりに捜査を開始。そのジム・ケリーの捜査と平行する形で、ダイヤモンド強奪犯一味の首領・陳星と、その子分・譚道良の葛藤が横軸として展開される。
 譚道良は、陳星一味の幹部クラスだが、優しい性格が災いし組織から浮き始めていた。組織を悪事を仕切るのは江島と楊斯のふたりで、彼らは目撃者や裏切り者に容赦がない。譚道良は恋人の李海姫に愚痴る毎日だが、陳星が李海姫に目を付けたことから、譚道良の忠誠心は揺らぎ始める・・・・。

 やはりこの映画最大の見せ場は、『燃えよドラゴン』では実現しなかった、ジム・ケリーVS楊斯であろう。もちろん、ジム・ケリーVS譚道良、ジム・ケリー、譚道良VS陳星なども実現し、功夫映画ファンの興味は十分に満たされるのだ。
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