『五鬼奪魂/大侠史艶文』 [2007年12月14日(金)]
『五鬼奪魂/大侠史艶文』'70年製作、監督:江冰涵、主演:江南
江湖を騒がす悪漢・五鬼奪魂一味を倒すため、剣士・江南が苦難の道を歩む武侠片だ。
五鬼奪魂とは、鏡使いの何維雄、鎖使いの李敏郎、黄金の義手を駆使する蘇金龍、斧使いの岳峰に、一味の首領で軽功の達人・大飛龍と呼ばれる呉炳南のこと。
彼らの動向を探っていた江南が手傷を負い、上官府の将軍・邵羅輝宅に逃げ延びてくるOPから、上官府が五鬼奪魂に襲われ、邵羅輝の犠牲で江南のみ逃げ落ちるところまでは非常にスピーディで秀抜だ。映画のテンポはここからガクっと落ちてしまうのだが、全体的に'60年代の旧派武侠片の名残りを濃厚に漂わせており、'70年代作品らしからぬ出来に仕上がっている。
逃げ落ちた江南は、手傷もあってか非常に弱々しく、旅の途次で様々な人間の助けを借りなければ生きられない。そこで登場するのが御転婆な江青霞と従者の蘇真平、凛々しい女剣士・李[王旋]、大飛龍のかつての師匠で、今は隠棲している柯佑民と娘の華戀、それに江南の従者・陳國鈞が従う。
とにかく闘いの度に更に傷つく江南、あまりに弱々しくて段々と腹が立ってくるのであるが(苦笑)、何故か女性陣には大モテ。それなのに全ての女性につれない江南には、まだ見ぬ許婚と交わした約束があるからなのだった。それでも江青霞は身代りに命を落とし、華戀は涙で見送り、李[王旋]は最後まで共に闘ってくれる。
道中の敵は五鬼奪魂だけではない。余松照を首領とする二刀流門派(王若平、金萬希など。武術指導で游天龍、龍飛の名前が見えるため、絡みのどこかにいるはず)や、大飛龍・呉炳南の近衛兵(江島、王秋雄)、毒使いの女など様々。ちなみにこの毒使い、西毒・欧陽美と名乗るのだが、このネーミングは金庸先生から苦情はでなかったのか?更にこの西毒・欧陽美、江南たちを騙す手口が「水滸傳」第十六回“呉用 生辰綱を智取す”そっくりなのだ。
傷ついた江南はひとりはぐれ、柯佑民に助けられ養生に専念する。大飛龍・呉炳南の横暴を苦々しく思っていた柯佑民だったが、呉炳南の軽功術を破る技は授けない。堕ちたりとも呉炳南は弟子である、そんな頼みは聞けん!
罰として大木に吊るされた江南に父の眼を忍んでそっと近寄る華戀。江南への恋心が為せる技だが、下ろしてあげるから一緒にと懇願する華戀の姿は、これまた吉川英治作「宮本武蔵」の“お通さん”そっくり。
彼女の恋情を振り切る江南だが、それでも恋する人の為にと、呉炳南を倒す技を教えてくれる華戀であった。
最後は李[王旋]と合流し、五鬼奪魂一味と決戦。結局は許婚も李[王旋]だったと判明してオチがつく。
とにかく女に助けられてばかりで弱っちい江南に腹が立ち、大飛龍と呼ばれている割にデブで動きももたつく呉炳南の姿に不満はあるのだが、何となく見れてしまう映画でもある。なんでだろう?若き日の大川橋蔵の映画がこんな感じだったからかな?・・・・そうか、それでか!(笑)
監督の江冰涵は、『鬼見愁』を監督している。その時も書いたが、郭南宏のプロデュースを受けていたり、郭南宏映画の脚本を手掛けるなど、江冰涵と郭南宏は濃厚な繋がりを見せている。
監督作は以下の五本、
'70
『鬼見愁』(脚本も)
'71
『五鬼奪魂』
『百忍道場』
『獨覇天下』
『惡報』(脚本も)
だが、これらの作品は時に郭南宏名義としての資料が散見されたりしていたため、江冰涵は非常に謎の多い人物とされていた。
この度、台湾映画の資料を当たっていて発見したのだが、“江冰涵”とは郭南宏と辛奇という二人の監督の共同名義であることが判明したのだ。
ということは江冰涵名義で発表された五本の作品は、共同監督とはいえ郭南宏の作品リストに入れるべき作品であったのだ。こうなると江冰涵名義の脚本作品『育安勾魂劍』、『草上飛』、『鬼門太極』(原案も)、『鐡三角』、『中國鐡人』、『雙馬連環』、『五爪十八翻』。
同じく江冰涵名義のストーリー原案作品『劍王之王』、『廣東好漢』、『少林功夫』、『K手金剛』、『火焼少林寺』、『迷拳三十六招/連拳三十六招』、『五爪十八翻』、『五月櫻唇』、そしてプロデューサー名義でクレジットされた『姦殺О娘』も郭南宏&辛奇の共同作業だったということになる。
郭南宏についてはクドクドしく紹介するに当たらないだろうが、ここではもう一人の辛奇について紹介しておこう。
1924年台湾生まれ、本名・辛金傳は、日本軍統治時代の台湾で学生生活を送り、日本大学芸術学部で映画を学んだ。帰国後は「台湾省電影製片廠」の前身機関で幹事を務めたり、「台湾省地方演劇協會」の秘書を兼任する傍ら、雑誌「地方演劇」の編集に携わる。辛奇のペンネームはその時に生まれたらしく、以後彼の表舞台での活動全般で使われるようになる。
映画界入りは'56年と、後にパートナーシップを組むことになる郭南宏よりも二年早く、最初は脚本家としてのスタートだった。
監督デヴューも同年で、初監督作品は『甘國寶過台灣』。郭南宏のデヴューが'58年の『鬼湖/鬼湖探検記』であるから、ふたりの共同作業は先輩(年齢も11歳年上)の辛奇がイニシアティブを取っていたのではないだろうか?
2005年に出版された黄仁の著による「辛奇的傳奇」によれば、『育安勾魂劍(“盲女勾魂劍”とあるが同じ作品だろう)』と『鬼見愁』の二本は、辛奇の作品と書かれており、共同名義ではあっても辛奇作品とするのが正しいのかもしれない。
郭南宏とは違い台湾映画の重鎮としての活動がメインだった辛奇は、香港映画界ではほとんど作品を残していないが、ジミーの『大殺星/大殺成』や、ショウブラ武侠片『隠身女侠』を手掛けている。
『童子功』でも触れたが、丁善璽の肝入りで台湾映画界の底上げのため、ショウブラへの留学が進められた。郭南宏、李作楠、朱延平など、後の台湾映画界を背負って立つ人材の多くが、'70年代初めにショウブラの門を叩いたのだ。もちろん辛奇もその中のメンバーだった。
郭南宏とのコラボは'69年の『劍王之王』から、'92年の『五月櫻唇』まで続いた。二人にとって『五月櫻唇』が最後の共同作業となったのだが、同時に二人の映画界でのキャリアにとっても最後の作品となった。
戦後の台湾映画界復興と同時に映画界入りし、台語片から國語片の変遷、ショウブラ留学を経て、台湾映画界発展に尽くした二人の関係が、つい近年まで続いていたことに嬉しい驚きを禁じ得ない。『五月櫻唇』は残念ながら未見の作品だが、二人の映画人生の集大成的作品であることを願ってやまないのだ。
江湖を騒がす悪漢・五鬼奪魂一味を倒すため、剣士・江南が苦難の道を歩む武侠片だ。
五鬼奪魂とは、鏡使いの何維雄、鎖使いの李敏郎、黄金の義手を駆使する蘇金龍、斧使いの岳峰に、一味の首領で軽功の達人・大飛龍と呼ばれる呉炳南のこと。
彼らの動向を探っていた江南が手傷を負い、上官府の将軍・邵羅輝宅に逃げ延びてくるOPから、上官府が五鬼奪魂に襲われ、邵羅輝の犠牲で江南のみ逃げ落ちるところまでは非常にスピーディで秀抜だ。映画のテンポはここからガクっと落ちてしまうのだが、全体的に'60年代の旧派武侠片の名残りを濃厚に漂わせており、'70年代作品らしからぬ出来に仕上がっている。
逃げ落ちた江南は、手傷もあってか非常に弱々しく、旅の途次で様々な人間の助けを借りなければ生きられない。そこで登場するのが御転婆な江青霞と従者の蘇真平、凛々しい女剣士・李[王旋]、大飛龍のかつての師匠で、今は隠棲している柯佑民と娘の華戀、それに江南の従者・陳國鈞が従う。
とにかく闘いの度に更に傷つく江南、あまりに弱々しくて段々と腹が立ってくるのであるが(苦笑)、何故か女性陣には大モテ。それなのに全ての女性につれない江南には、まだ見ぬ許婚と交わした約束があるからなのだった。それでも江青霞は身代りに命を落とし、華戀は涙で見送り、李[王旋]は最後まで共に闘ってくれる。
道中の敵は五鬼奪魂だけではない。余松照を首領とする二刀流門派(王若平、金萬希など。武術指導で游天龍、龍飛の名前が見えるため、絡みのどこかにいるはず)や、大飛龍・呉炳南の近衛兵(江島、王秋雄)、毒使いの女など様々。ちなみにこの毒使い、西毒・欧陽美と名乗るのだが、このネーミングは金庸先生から苦情はでなかったのか?更にこの西毒・欧陽美、江南たちを騙す手口が「水滸傳」第十六回“呉用 生辰綱を智取す”そっくりなのだ。
傷ついた江南はひとりはぐれ、柯佑民に助けられ養生に専念する。大飛龍・呉炳南の横暴を苦々しく思っていた柯佑民だったが、呉炳南の軽功術を破る技は授けない。堕ちたりとも呉炳南は弟子である、そんな頼みは聞けん!
罰として大木に吊るされた江南に父の眼を忍んでそっと近寄る華戀。江南への恋心が為せる技だが、下ろしてあげるから一緒にと懇願する華戀の姿は、これまた吉川英治作「宮本武蔵」の“お通さん”そっくり。
彼女の恋情を振り切る江南だが、それでも恋する人の為にと、呉炳南を倒す技を教えてくれる華戀であった。
最後は李[王旋]と合流し、五鬼奪魂一味と決戦。結局は許婚も李[王旋]だったと判明してオチがつく。
とにかく女に助けられてばかりで弱っちい江南に腹が立ち、大飛龍と呼ばれている割にデブで動きももたつく呉炳南の姿に不満はあるのだが、何となく見れてしまう映画でもある。なんでだろう?若き日の大川橋蔵の映画がこんな感じだったからかな?・・・・そうか、それでか!(笑)
監督の江冰涵は、『鬼見愁』を監督している。その時も書いたが、郭南宏のプロデュースを受けていたり、郭南宏映画の脚本を手掛けるなど、江冰涵と郭南宏は濃厚な繋がりを見せている。
監督作は以下の五本、
'70
『鬼見愁』(脚本も)
'71
『五鬼奪魂』
『百忍道場』
『獨覇天下』
『惡報』(脚本も)
だが、これらの作品は時に郭南宏名義としての資料が散見されたりしていたため、江冰涵は非常に謎の多い人物とされていた。
この度、台湾映画の資料を当たっていて発見したのだが、“江冰涵”とは郭南宏と辛奇という二人の監督の共同名義であることが判明したのだ。
ということは江冰涵名義で発表された五本の作品は、共同監督とはいえ郭南宏の作品リストに入れるべき作品であったのだ。こうなると江冰涵名義の脚本作品『育安勾魂劍』、『草上飛』、『鬼門太極』(原案も)、『鐡三角』、『中國鐡人』、『雙馬連環』、『五爪十八翻』。
同じく江冰涵名義のストーリー原案作品『劍王之王』、『廣東好漢』、『少林功夫』、『K手金剛』、『火焼少林寺』、『迷拳三十六招/連拳三十六招』、『五爪十八翻』、『五月櫻唇』、そしてプロデューサー名義でクレジットされた『姦殺О娘』も郭南宏&辛奇の共同作業だったということになる。
郭南宏についてはクドクドしく紹介するに当たらないだろうが、ここではもう一人の辛奇について紹介しておこう。
1924年台湾生まれ、本名・辛金傳は、日本軍統治時代の台湾で学生生活を送り、日本大学芸術学部で映画を学んだ。帰国後は「台湾省電影製片廠」の前身機関で幹事を務めたり、「台湾省地方演劇協會」の秘書を兼任する傍ら、雑誌「地方演劇」の編集に携わる。辛奇のペンネームはその時に生まれたらしく、以後彼の表舞台での活動全般で使われるようになる。
映画界入りは'56年と、後にパートナーシップを組むことになる郭南宏よりも二年早く、最初は脚本家としてのスタートだった。
監督デヴューも同年で、初監督作品は『甘國寶過台灣』。郭南宏のデヴューが'58年の『鬼湖/鬼湖探検記』であるから、ふたりの共同作業は先輩(年齢も11歳年上)の辛奇がイニシアティブを取っていたのではないだろうか?
2005年に出版された黄仁の著による「辛奇的傳奇」によれば、『育安勾魂劍(“盲女勾魂劍”とあるが同じ作品だろう)』と『鬼見愁』の二本は、辛奇の作品と書かれており、共同名義ではあっても辛奇作品とするのが正しいのかもしれない。
郭南宏とは違い台湾映画の重鎮としての活動がメインだった辛奇は、香港映画界ではほとんど作品を残していないが、ジミーの『大殺星/大殺成』や、ショウブラ武侠片『隠身女侠』を手掛けている。
『童子功』でも触れたが、丁善璽の肝入りで台湾映画界の底上げのため、ショウブラへの留学が進められた。郭南宏、李作楠、朱延平など、後の台湾映画界を背負って立つ人材の多くが、'70年代初めにショウブラの門を叩いたのだ。もちろん辛奇もその中のメンバーだった。
郭南宏とのコラボは'69年の『劍王之王』から、'92年の『五月櫻唇』まで続いた。二人にとって『五月櫻唇』が最後の共同作業となったのだが、同時に二人の映画界でのキャリアにとっても最後の作品となった。
戦後の台湾映画界復興と同時に映画界入りし、台語片から國語片の変遷、ショウブラ留学を経て、台湾映画界発展に尽くした二人の関係が、つい近年まで続いていたことに嬉しい驚きを禁じ得ない。『五月櫻唇』は残念ながら未見の作品だが、二人の映画人生の集大成的作品であることを願ってやまないのだ。








