嘉禾電影'71(8)『追撃』'71年製作、監督:王天林、主演:衣依、田俊ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー『鬼流星』の公開は71/8/11、興収は88万HKドル。この数字は「嘉禾電影(ゴールデンハーベスト)」にとって久しぶりのヒットである。ライバル「邵氏(ショウブラザース)」が鄭佩佩の
『影子神鞭』を8/6に公開、100万HKドルを越す大ヒットを達成。この数字は年間興収の第8位だった。井上梅次『我愛金龜婿』は8/18公開、興収48万HKドル。鄭昌和監督、羅烈主演『來如風』が8/25公開、興収83万HKドル。夏休み興行は鎬を削る闘いとなった。続く『追撃』の公開は10/7、39万HKドルでハーベストを失望させる。10月の興行も熾烈だ。張徹の『拳撃』が10/1公開、興収170万HKドル。年間興収の第2位という大ヒット、この時点で『拳撃』の立てた記録は、70年に
『龍虎鬥/吼えろ!ドラゴン 起て!ジャガー』の持つ200万HKドルに次ぐ、香港映画歴代興収記録の第2位というものだった。この時点でハーベストの『追撃』は大惨敗である。高寶樹の『鳳飛飛』が10/15公開、興収45万HKドル。ショウブラ離脱前に徐増宏が撮った『蕭十一郎』が10/22公開、興収42万HKドル。さらに羅維の離脱前作品『冰天侠女』が10/29公開、興収47万HKドル。もはやハーベストは死に体であった。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーージリ貧。この時点でのハーベストがまさにそれである。旗揚げ時こそまあまあの数字をキープしたものの、売上げは下がる一方。
『天龍八將』92万HKドル、
『刀不留人』73万HKドル、
『獨臂刀大戦盲侠/新座頭市破れ!唐人剣』150万HKドル、
『一夫當關』51万HKドル、
『侠義雙雄』56万HKドル、
『鬼怒川』34万HKドル、
『奪命金劍』68万HKドル、
『鬼流星』88万HKドル、『追撃』39万HKドル。71年の香港映画の総収入は4200万HKドルで、うちショウブラが稼いだのは2400万HKドルほどである。公開本数も多いとはいえ、台湾製の作品も含めて、恐ろしいことに全体の50%以上を稼ぎ出しているのだ。ハーベストのこの時点の総収入は650万HKドルほどで、市場占有率は15%ほどにしかならない。ジミー訴訟に関する裁判の費用を含めて、もはや勝負は見えていた。鄒文懐(レイモンド・チョウ)には邵逸夫(ランラン・ショウ)の高笑いが聞こえていたのではないか?ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーヒットはしていないが『追撃』は悪い映画ではない。「二本の剣が出会う時、剣はひとつになる」そんな言い伝えを持つ"血絲寶劍"を持つ田俊(ジェームス・ティエン)。彼は父の仇を探しているが、彼自身が剣を狙うものに追われていた。誰が?何のために?衣依(マリア・イー)もまた、兄弟子の金川と共に父の仇を探していた。田俊を狙わせているのは天龍幇の首領・唐菁(手下に白彪)。彼はもう一本の"血絲寶劍"を持つ人物と言われていた。田俊の叔父は彼に剣を託す際、もうひとつの剣を持つ人物こそ父殺しの犯人を知る男だと言うが・・・。任浩(手下に陳觀泰、彼は本作の武術指導)が、齋蓮奎(手下に李文泰)が、妖艶な方心と鍛治屋の呉家驤が、次々と田俊の剣を狙って現れる。そんな中、謎を知る唯一の人物・唐菁が殺され、犯人は金川だと疑いがかかる。兄弟子の無実を信じる衣依が問い質すと、彼は意外な真相を語り始めるのだ。「唐菁の口から"ある真実"が洩れないよう口を塞いだ」その真実とは、田俊の仇は衣依であり、衣依の仇もまた田俊であるという。果たしてこれは真実なのか?物語は更に二転三転し、全ての真相が明され「二本の剣が出会う時、剣はひとつになる」という伝説もまた事実であったことを知る。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「嘉禾三大玉女」として苗可秀(ノラ・ミャオ)や茅瑛(アンジェラ・マオ)と同じオーディションを受けた衣依の初主演作品だ。苗可秀が『天龍八將』『刀不留人』『鬼流星』と立て続けに映画を撮り、アンジェラも『天龍八將』『鬼怒川』があるのに比べれば、衣依の登場は随分と遅かった。結局この人は芸能界からも早くに足を洗ってしまうし、スターになる華が無いのだな。ハーベストとしても売り出し方法に困っていたのではなかろうか。田俊、劉永に続いて、この映画で金川が合流。コメディリリーフの李昆も加えて、女優陣を支える男優側も粒が揃ってきた。しかし決定的に欠けているものがあった。ショウブラには姜大衛、狄龍という絶対的なスターがいた。ハーベストが興行合戦に敗れたショウブラの大作、『大決鬥』、
『新獨臂刀』、『無名英雄』、『拳撃』、いずれも姜大衛&狄龍のコンビ作である。スターは必要である、それも大衆を引き付けるカリスマ・スターが!ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー1970年4月、ショウブラとの契約交渉に香港を訪れた李小龍(ブルース・リー)は、一本1万米ドルという出演料がネックとなり、交渉は物別れに終わる。引退してアメリカにいた鄭佩佩をスカウトするため交渉に赴いた当時の羅維夫人・劉亮華は、鄭佩佩獲得には失敗するものの、第二案であったブルース・リーとの交渉には成功。だが手付金の3千ドルこそ支払ったものの、残りの7千ドルは工面出来ない上に、ブルースを売り出す映画の企画も見つからないまま時が過ぎていった。その間ブルースはアメリカで待ち続けたのだが、アメリカで成功したといっても主役ではなかったし、彼が香港で映画に出ていたのは子供の時だ。いったい彼に何が出来るのか?何をさせれば良いのか?答えの見つからないまま71年を迎える。タイの映画館チェーンを持つ人物からコンタクトがあり、鄒文懐は出資を依頼した。出資は断られたが、タイの映画館で上映するという契約で前渡金を貰った。ロケ地もタイで決定、現地の製菓会社からのタイアップも取り付け、ブルースに支払う7千米ドル分を含む、10万HKドルの製作費を捻出。これがハーベストの用意出来る全てだった。この時点で金庫はカラになっていたのだ。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー71年7月16日、タイへと直行したブルース・リーが鄒文懐の目の前に立っていた。ふたりはこの時が初対面である。「あなたの目の前に世界のスーパースターが立っていますよ!」この自身満々の男、この男がハーベスト最後の賭けなのだ。映画の内容すらロクに決まってもいない、見切り発車のロケが始まった。賽は振られたのだ。9月3日、タイでのロケを終えた一行が記者会見を開き最後の宣伝に努めた。71年10月31日、ついに運命の幕が開く時を向えた。映画『唐山大兄/ドラゴン危機一発』は、公開されるやそれまでの香港映画界が持っていたありとあらゆる記録を抜き去り、未曾有の金字塔を打ち立てた。香港映画始まって以来の初めての300万HKドルを越すメガヒットは、たった一本で年間興収トップ10のおよそ四分の一を稼ぎ出したのである。夢を抱いて船出した小さな映画会社「嘉禾電影(ゴールデンハーベスト)」は、60年代から連綿と続く「邵氏(ショウブラザース)」の独裁支配に、一本のクサビを打ち込んだ。それはクサビというにはあまりにも巨大な一本であった。(特集終わり)