私が『ラストサムライ』を嫌いな理由 [2004年11月30日(火)]
Name:fake
Email:episodo1@iris.dricas.com
URL:http://myroom.isao.net/room164/0000001000019164
まず公証面から。
※ガトリングガン
ガトリングガンは江戸時代には既に日本に存在し、
戊辰戦争で実戦投入されています。使用したのは越後
長岡藩で、官軍に対してです。薩長の官軍が母体の陸
軍は既にガトリングガンの威力を身をもって知ってい
るのだ。
※アメリカが日本の軍事顧問となっている。
日本が採用したのはフランス。ちなみに戊辰戦争自
体は、英仏の代理戦争でもあった。
※西南戦争がモデル。
西南戦争がモデルでありながら、渡辺謙の戦い方や
衣装は鳥羽伏見だ。
渡辺謙自体は西郷隆盛がモデルなのだから、あの戦
闘は田原坂から城山へと続く西郷軍である。というこ
とはある程度は近代軍の格好でなければならない。
西郷軍が抜刀術に優れていたのは本当だが、その西
郷軍の抜刀隊に手を焼いた陸軍は、恥も外聞も捨て旧
徳川家の人間から抜刀隊の募集を募った。
これは、陸軍の母体である官軍が既にサムライでは
なかったからで、明治以後更に近代化された陸軍には
刀の切り込みに自信がなかったため。
職にあぶれていた旧徳川家の侍たちは、鳥羽伏見の
仇が討てるとこれに募集。中には元・新撰組の斎藤一
や、会津別選隊の佐川官兵衛などもいた。
この抜刀隊に敗れた西郷軍は田原坂で敗走し、西郷
は城山で自刃をとげる。
本当のラストサムライたちは、西郷軍ではなくそれ
を破った旧徳川家臣だった。
ここから映画について。
この『ラストサムライ』という映画はジャンル的に
は"スクォマン"ものというジャンルになります。
セシル・B・デミルが1913年に撮った『スクォマン』
を元祖とするもので、インディアンと結婚した白人をス
クォマンと呼ぶことからこのタイトルになりました。
転じて、未開の部族や異人種に理解を示す白人の物語
を"スクォマン"ものと呼ぶようになり、西部劇ではデル
マー・デイビスの『折れた矢』、『馬と呼ばれた男』、
『ダンス・ウィズ・ウルブズ』など全て"スクォマン"で
す。
西部劇ではありませんがウイリアム・コンラッドの小
説『ロードジム』や『闇の奥』なども"スクォマン"系列
になります。
この手の"スクォマン"ものは、基本的に社会のはぐれ
者が、異人種(部族)に触れることで成長(贖罪)を果たし
、異人種(部族)への理解と尊敬を得るというものです。
『ラストサムライ』も同じでしょ?
これらは全て白人の視点から作られている、ここに問
題があるのですよ。いや、白人しか作っていないと言う
べきか。
かつて七つの海を征服し、世界に植民地を築いたアン
グロサクソンは、かつての栄光にしがみつこうと必死で
す。(特にアメリカン・グローバリズムの推進者)
しかし現実はなかなかうまくいかず、他民族や異人種
とも付き合っていく必要もあります。歴史も文化的成熟
もアングロサクソン以上のものを誇る民族などがたくさ
んあることもわかってしまいました。
そこへのコンプレックスがこの"スクォマン"ものに裏
返しとして表れるのですよ。
なるほど確かにすぐれている異人種(部族)もいる、し
かし我々アングロサクソンだけは彼らを理解し、また彼
らからも尊敬されるのだ。これが本音ですよ。
逆を考えてみましょう。
アジア人が白人の王になる話や、黒人やユダヤ人がイ
ンディアンの酋長になる話が存在しますか?
しませんね。
私たち日本人もそうですが、インディアンもアフ
リカン・アメリカンもユダヤも、中国人も、みーん
な最初から分かっているはずです。他所の国にも素
晴らしい文化が存在し、それぞれの民族を尊敬すべ
きだということを。
だから我々からは異人種(部族)の王になる"スクォ
マン"なんか生み出す必要がないんです。
白人だけですよ、こんなことやってんの。
確かに『ラストサムライ』は尊敬し理解してくれて
います。でもそれは改めてやってみせなきゃならんこ
となんですかね?
どうしてもそこに白人だけが理解できるという驕り
が見え隠れしていて、私ならそんな尊敬はいらんよ!
と言いたくなるのですよ。
私にとって『ラストサムライ』は虫唾が走る下劣な
映画なんです。
Email:episodo1@iris.dricas.com
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まず公証面から。
※ガトリングガン
ガトリングガンは江戸時代には既に日本に存在し、
戊辰戦争で実戦投入されています。使用したのは越後
長岡藩で、官軍に対してです。薩長の官軍が母体の陸
軍は既にガトリングガンの威力を身をもって知ってい
るのだ。
※アメリカが日本の軍事顧問となっている。
日本が採用したのはフランス。ちなみに戊辰戦争自
体は、英仏の代理戦争でもあった。
※西南戦争がモデル。
西南戦争がモデルでありながら、渡辺謙の戦い方や
衣装は鳥羽伏見だ。
渡辺謙自体は西郷隆盛がモデルなのだから、あの戦
闘は田原坂から城山へと続く西郷軍である。というこ
とはある程度は近代軍の格好でなければならない。
西郷軍が抜刀術に優れていたのは本当だが、その西
郷軍の抜刀隊に手を焼いた陸軍は、恥も外聞も捨て旧
徳川家の人間から抜刀隊の募集を募った。
これは、陸軍の母体である官軍が既にサムライでは
なかったからで、明治以後更に近代化された陸軍には
刀の切り込みに自信がなかったため。
職にあぶれていた旧徳川家の侍たちは、鳥羽伏見の
仇が討てるとこれに募集。中には元・新撰組の斎藤一
や、会津別選隊の佐川官兵衛などもいた。
この抜刀隊に敗れた西郷軍は田原坂で敗走し、西郷
は城山で自刃をとげる。
本当のラストサムライたちは、西郷軍ではなくそれ
を破った旧徳川家臣だった。
ここから映画について。
この『ラストサムライ』という映画はジャンル的に
は"スクォマン"ものというジャンルになります。
セシル・B・デミルが1913年に撮った『スクォマン』
を元祖とするもので、インディアンと結婚した白人をス
クォマンと呼ぶことからこのタイトルになりました。
転じて、未開の部族や異人種に理解を示す白人の物語
を"スクォマン"ものと呼ぶようになり、西部劇ではデル
マー・デイビスの『折れた矢』、『馬と呼ばれた男』、
『ダンス・ウィズ・ウルブズ』など全て"スクォマン"で
す。
西部劇ではありませんがウイリアム・コンラッドの小
説『ロードジム』や『闇の奥』なども"スクォマン"系列
になります。
この手の"スクォマン"ものは、基本的に社会のはぐれ
者が、異人種(部族)に触れることで成長(贖罪)を果たし
、異人種(部族)への理解と尊敬を得るというものです。
『ラストサムライ』も同じでしょ?
これらは全て白人の視点から作られている、ここに問
題があるのですよ。いや、白人しか作っていないと言う
べきか。
かつて七つの海を征服し、世界に植民地を築いたアン
グロサクソンは、かつての栄光にしがみつこうと必死で
す。(特にアメリカン・グローバリズムの推進者)
しかし現実はなかなかうまくいかず、他民族や異人種
とも付き合っていく必要もあります。歴史も文化的成熟
もアングロサクソン以上のものを誇る民族などがたくさ
んあることもわかってしまいました。
そこへのコンプレックスがこの"スクォマン"ものに裏
返しとして表れるのですよ。
なるほど確かにすぐれている異人種(部族)もいる、し
かし我々アングロサクソンだけは彼らを理解し、また彼
らからも尊敬されるのだ。これが本音ですよ。
逆を考えてみましょう。
アジア人が白人の王になる話や、黒人やユダヤ人がイ
ンディアンの酋長になる話が存在しますか?
しませんね。
私たち日本人もそうですが、インディアンもアフ
リカン・アメリカンもユダヤも、中国人も、みーん
な最初から分かっているはずです。他所の国にも素
晴らしい文化が存在し、それぞれの民族を尊敬すべ
きだということを。
だから我々からは異人種(部族)の王になる"スクォ
マン"なんか生み出す必要がないんです。
白人だけですよ、こんなことやってんの。
確かに『ラストサムライ』は尊敬し理解してくれて
います。でもそれは改めてやってみせなきゃならんこ
となんですかね?
どうしてもそこに白人だけが理解できるという驕り
が見え隠れしていて、私ならそんな尊敬はいらんよ!
と言いたくなるのですよ。
私にとって『ラストサムライ』は虫唾が走る下劣な
映画なんです。








