旧myroom(香港電影的日常 '01/2/17〜'06/1/29)より移転。

 香港映画を中心に語っていますが、基本的には何でもアリです。
 なお日記に記載の内容は、無断転載、転用はお断りいたしております。ご理解下さい。(by fake)

 ・・・・あと、リンクもフリーではないんです。すんませんなぁ。

倉田保昭(5)『龍虎雙雄』 [2006年03月31日(金)]

倉田保昭(5)『龍虎雙雄』製作年度不明(元映像は'72年)、監督:呉思遠、主演:陳星

 倉田保昭本人の言葉を引用させていただく。

 「一本撮るとそれが二本になっちゃったり、別の映画とつなぎあわせちゃったり、メチャクチャやりましたからね。」(洋泉社刊「ブルース・リーと101匹ドラゴン大行進!」より抜粋)

 “一本撮るとそれが二本に”!?とは一体どういうことだ!?

 '74年に『神拳飛龍』という作品がある。これは、倉田が日本で出演したTVシリーズ「闘え!ドラゴン」を再編集し、90分の劇場用作品にした作品で、勿論、無断で行われた。

 '76年の『方世玉傳奇/鳳舞雲天/旋風方世玉』という作品は、'72年の『方世玉/武道大連合 復讐のドラゴン』における倉田出演場面を回想シーンで使用した作品で、『方世玉傳奇/鳳舞雲天/旋風方世玉』は大五・長江影業作品、『方世玉/武道大連合 復讐のドラゴン』は張徹の南海影業作品。言うまでもないが、これも無断である。

 これらはいずれも“別の映画とつなぎあわせちゃったり、メチャクチャやりましたからね”の方で、“一本撮るとそれが二本に”なってしまった例には当て嵌まらない。

 倉田保昭の熱心なファンであるならば、彼の出演作品リストや、フィルモグラフィには眼を通したことがあるだろう。今回紹介する『龍虎雙雄』という作品は、過去に紹介されたことにある倉田出演リストには何処にも載っていない作品だ。そしてこの作品こそが、“一本撮るとそれが二本に”なってしまった例を示す幻のレア作品なのである。

 端的に言うと、この映画は『餓虎狂龍』だ。ストーリー、場面展開などはほとんど『餓虎狂龍』と同じで、OPに数カット『餓虎狂龍』の未使用カットがあることと、ラストのVS陳星の編集が違うだけなのだ。

 それでもこの映画は別物である。

 『餓虎狂龍』製作時、呉思遠はまだ自分の会社・思遠影業を創設してはおらず、『蕩寇灘』製作時に製作を受け持った富國影業が製作を担当した(配給ラインは協利電影)。
 だから『餓虎狂龍』は、富國電影出品、呉思遠製作・監督というのが正式クレジットとなる。

 この『龍虎雙雄』は、北京語版中文クレジットのあるもので確認した。得利影業出品、出品人・何文強、監製・郭延華と、『餓虎狂龍』とは違うクレジットとなっており、監督は呉思遠とクレジットされてはいるものの、微妙な編集の違いといい、この作品が倉田のいう“一本撮るとそれが二本に”という条件を最も満たしてはいないだろうか?

 作品としては『餓虎狂龍』も『龍虎雙雄』も同じ作品である為、作品についてはこれ以上の紹介は避けるが、当時の香港映画界の状況を語る倉田証言を裏付ける点で、貴重なレア作品であるためあえて紹介した次第であります。

 来月も続いて倉田特集、次回は『猛虎下山』。 

倉田保昭(4)『餓虎狂龍』 [2006年03月25日(土)]

倉田保昭(4)『餓虎狂龍』'72年製作、監督:呉思遠、主演:陳星

 『蕩寇灘』大ヒット後、倉田保昭はホゾを噛んでいた。“しまった!あの男の才能を読めなかった・・・” 後悔既に遅し、である。

 映画をヒットさせ、一躍時の人になった呉思遠も、実は悔やんでいた。“陳星の相手役は倉田しかいないのに!”前作に倉田を出演させられなかったことは痛恨事だったのだ。

 呉思遠は新作『餓虎狂龍』の企画を持って再び倉田の元を訪れた。

 暴力が百花繚乱に咲き乱れる時代に、暴力そのもののダイナミズムを描き出すこと、それが呉思遠の理想だった。目標が理想に到達するための現実的な段階点であるとするなら、倉田への出演依頼は、目標に向って進む第一歩だ。再度の出演依頼には、応える必要があると倉田も感じていた。

 倉田保昭は行動する男である。何故なら、行動は言葉よりも雄弁だからだ。呉思遠もまた、そういう男であった。彼らの行動こそが、彼らの理想を明らかにすることを知っていた。倉田は出演を快諾し、作られるはずだった『蕩寇灘』の理想形を実現すべく、『餓虎狂龍』の撮影が始まった。

 <ストーリー>
 大日本空手道總道場師範の倉田保昭は、来るべき中国侵攻の先兵としてスパイ活動に従事すべく上海に派遣される。ただし、これは国家の秘事であり、その身分はあくまで民間のものとして取り扱われるとの指令だ。上海を支配するギャング・姜南の組織に用心棒として雇われ、その裏で侵攻計画を極秘裏に進めるのが倉田の任務である。あくまで民間の立場であるため、君もしくは君の仲間が掴まり、或いは殺されても、当局は一切関知しないことを念押された。

 一方、こちらは中国。南京特殊部隊体長・陳星は、部下の訓練途中、総司令部へと呼びだされる。上海のギャング組織に手を焼く警察からの要請で、組織に潜入し彼らの悪事を暴くよう要請されたのだ。過去何人もの秘密捜査官が命を落としたため、特殊部隊に御鉢が回ってきたものだが、潜入捜査であるため、やっぱり当局はその生命を保証しないのであった。

 このOPのそれぞれの対比が上手く、倉田、陳星共に試験されるような形でアクションを披露。倉田は湛少雄、錢月笙、陳星は梁小龍、黄元申とそれぞれ闘う。

 波止場の労働者・韓國才、郭榮勝は、黎愛蓮と自転車で出勤。波止場で靴磨きを営む韓國才は不審な積荷に近寄って袋叩き。その積荷は姜南が取り扱っているものであった。陳星は上海に到着すると、波止場の現状と、自分の苦境を部下の黄元申に手紙で訴える。
 倉田も到着し、さっそく用心棒として組織に雇われる。弟子の解元も一緒だ。相変わらず虐められている韓國才を助けたのは、陳星の手紙を見て上海へとやってきた黄元申。お礼参りにやってくる姜南一味、息子役で陳惠敏が出演しているが、同年デヴューしたばかりの陳惠敏、実に初々しい。

 陳惠敏と互角に闘った黄元申は、仕事が欲しいと姜南にアピールするが、警察のスパイではないか?と疑いをかけられる。そこへやってきたのが陳星、黒社会の暗号と挨拶を披露し味方であることを証明。いちおう腕前を試されるのだが、ここで登場するのが李家鼎、李銘、梁小龍の三人。彼らが本作の武術指導なのだ。
 姜南の屋敷で更なる試験を受けたが、倉田と解元は今イチ信用していない様子。それでもその夜は歓迎会が開かれたが、誘拐されて連れて来られた黎愛蓮を見て、黄元申の怒りが爆発。一味には不穏な空気が漂う。

 姜南の組織を隠蓑に、中国に潜入していたスパイとコンタクトを取る倉田。侵攻計画書を渡し、来るべき蜂起に備えるよう指示。黎愛蓮と仲良くなり、波止場の情報を入手する黄元申。姜南の船が不審な積荷を出荷させる日を探るよう頼んだ。
 倉田の動向を探っていた陳星は、姜南の仕事とは違う動きに不審を覚えるが、倉田は尻尾を掴ませない。倉田は倉田で、陳星らの動きに警察のスパイではないかとの確信を強め、姜南に提言して罠を仕掛ける。

 船の出港日が判明、陳星は罠ではないかと疑うが、別の手を打つだけの材料も日数もなかった。韓國才、郭栄勝らを連絡要因に使い、警察と連携。
 出港の夜、姜南の家に監禁される陳星たち。船の積荷は別の所に移動させ、爆弾を仕掛けたという。警察がくれば陳星たちはサツの犬、その警察も爆弾で吹っ飛ばすという算段だったが、陳星たちの連絡がないことを不審に思った韓國才の機転で救われる。

 郭栄勝は波止場でスリをして暮らしていた。止めよう、止めようと思ってはいたのだが、懐の暖かそうな人物を見かけるとついつい手が動いた。だがこれが思わぬ展開を生んだのだった。郭栄勝が掏り取ったのは、倉田からスパイに渡された侵攻計画書。こうなると人身売買のギャング組織など後回しだ。祖国を守る為立ち上がった陳星は、日本軍のスパイ・倉田を追い詰める!

 ここから映画史上初めての本格的なマラソンバトルが開始される。

 逃げる倉田、追う陳星。野原で闘い、階段の途中で闘い、石畳を越え、広場で闘い、建物を昇り降りしながら続けられる激しいド突き合い。前回の武術指導・袁和平に変わって、武術指導として抜擢された梁小龍は、粤劇出身で詠春拳を修得し、テコンドー、空手を学んだ。共に空手出身の陳星と倉田にとって、実戦武打の映画的表演という新しいジャンルを確立した梁小龍の武術指導は、願ってもない立ち回りであった。

 闘いは続く。解元が車で救出に現れるが、陳星も車にしがみついて逃がさない。郭栄勝、韓國才、黄元申も助っ人に登場。黄元申が解元を倒すが、韓國才が倉田にやられた。
 港に逃げる倉田を待ち受ける陳星。船で、波止場で、海岸で、更に続くド突き合い。狄龍や姜大衛相手には遠慮気味だった倉田も、陳星相手には実力全開だ。殴り合いに飽きた倉田がトンファーを取り出し、対抗した陳星がサイで応戦。お互いが一進一退を繰り返し、トンファーもサイも弾き飛ばされる。再び素手での闘いになったと見えたが、倉田は更にゴールデン・トンファーを取り出し、陳星はボコボコ。だが永遠に続くかと思われる闘いも、陳星が倉田の腕をヘシ折り決着をつけた。

 ゴールデン・ハーベストの独立は確かに事件だった。だが真の独立とは? ハーベストもショウブラから独立し、新たな会社を創造したが、会社の方向性としてはもうひとつのショウブラを創造したに過ぎない。それは独創とは呼ばないのだ。
 絶え間の無い創造の行為を、独りで繰り返し、その後に生まれるものが独創であり、それこそが真の独立である。
 未曾有の功夫ブームにおいて、その誰もがショウブラの縮小コピーか、ブルース・リーの真似事に終始するなかで、まったく別の方向性を現出し得た呉思遠の情熱と、それに応え得た倉田保昭のアクションなくして、この映画の成功はなかったろう。

 『餓虎狂龍』は、低予算の独立プロ作品ながら、120万HKドルを越す大ヒットを記録し、'72年の年間興収記録第8位にランクされた。

 次回は、こんな映画あったっけ?『龍虎雙雄』です。

倉田保昭(3)『蕩寇灘』 [2006年03月16日(木)]

倉田保昭(3)『蕩寇灘』'72年製作、監督:呉思遠、主演:陳星

 '66年 
 警察官の腐敗汚職を追及する大掛かりなデモが起きる。

 胡金銓(キン・フー)の『大酔侠』公開。“武侠片新世紀”の幕が開く。

 中国で文化大革命、粛清の嵐。

 '67年
 文化大革命は香港にも飛び火。俗に言う香港暴動の始まり。

 張徹『獨臂刀』公開。“浪漫暴力路線”開始。残酷ブーム始まる。

 工場の労働闘争に警官が介入。闘争の火は収まらず、反英大暴動へと発展。

 張徹『大刺客』公開。

 '70年
 ベトナム戦争激化、難民化したベトナム人がボート・ピープルとして来港。
 人口も飛躍的に増加し、難民問題が本格化。

 張徹『報仇』公開。

 王羽『龍虎鬥/吼えろ!ドラゴン 起て!ジャガー』公開。

  戦後の“団塊の世代”が続々と社会へ。ジェネレーション・ギャップの始まり。

 '71年
 尖閣諸島問題から反日デモへ。

 ブルース・リー凱旋『唐山大兄』公開。

 広東語公用語化問題から学生運動。

 '72年
 英中関係正常化。続いて日中国交正常化なる。
 これにより台湾との関係は悪化、各地の反日デモはピークへ。 

 『精武門/ドラゴン怒りの鉄拳』公開。

 『馬永貞』公開。張徹“浪漫暴力路線”頂点へ。
 
 この『蕩寇灘』が公開されたのはこの'72年のことであった。

 現実社会の暴力が映画に反映されてきた時代であったのが、御理解戴けるであろうか。暴力が次の暴力を生み、その連鎖は実社会の合わせ鏡たる映画に受け継がれ、より刺激的な暴力を生んだ時代。それが60年代後半から、70年代にかけて香港で続いたドラゴン・ブームの正体である。

 その中で、胡金銓は“暴力の要因は政治腐敗にある”ことを描き、張徹は“神話世界の英雄の姿に擬した暴力のロマンチシズム”を描いた。ブルース・リーが描いたのは“暴力におけるストイシズム”であり、王羽は“より剥き出しのリアルな暴力”に活路を見出した訳だ。

 '70年にショウブラザースから鄒文懐(レイモンド・チョウ)が独立、ゴールデン・ハーベストを旗揚げ。この時点ではハーベストも小さな独立プロのひとつに過ぎないが、これは香港映画界の歴史に残る大事件であった。当時の映画人で、ショウブラザースに対抗しようという人間が現れたことは、ショウブラの求心力の低下の表れでもあるが、社会が急速な変化を求めている証拠でもある。

 ショウブラの扱いに不満を抱いていた王羽も『龍虎鬥/吼えろ!ドラゴン 起て!ジャガー』の大ヒットを契機に独立し、ハーベストに合流した。これが香港映画界にもうひとつの流れを生む間接的要因となる。所謂、“独立プロ乱立”というやつだ。

 『龍虎鬥/吼えろ!ドラゴン 起て!ジャガー』は、王羽が監督・主演したワンマン映画であるが、同作で助監督を務めた呉思遠は“あれは俺の監督作だ!”と言う。企画当初にアドバイザーを務めていた張徹の証言からも、呉思遠が同作の完成に尽力したことは事実であると推察される。スターの初監督作品には起こりがちなことで、許冠文(マイケル・ホイ)の初監督作『鬼馬雙星/Mr.BOO!ギャンブル大将』は、呉宇森(ジョン・ウー)が実質の監督だというし、曾志偉(エリック・ツァン)は、ジャッキー初監督作『笑拳怪招/クレージーモンキー笑拳』は自分が監督したと言っている。

 王羽に手柄を独り占めされた呉思遠だったが、それ以上に彼を刺激したのが鄒文懐や王羽の独立だった。“彼らが出来るなら、俺にだって!”弱冠27才の呉思遠も、独立の気運に燃えた!

 これを後押ししたのが、暴力の連鎖が暴力を生む時代だった。

 『龍虎鬥/吼えろ!ドラゴン 起て!ジャガー』は、武術アクションとしての功夫片ではなく、暴力のリアリズム描写という動作片が成立することを示した。王羽程度のアクションで観客に訴えかけられるのであれば、武術の達人にこれをやらせてみては?
 民初動作片の隆盛は、衣装やセットに費用を掛けられない独立プロにも好都合であった。“取り敢えず武術の達人を揃えよう、あとはそれからだ・・・・”ショウブラでは月給3万、脇役でくすぶっていた陳星に声が掛かったのは、彼が剛柔流空手二段の猛者であったからだ。

 呉思遠は陳星の相手役に倉田を望んだ。迫力ある悪役顔だが、従来のスターには程遠い陳星を、生かすも殺すも相手役次第である。その点で倉田保昭は申し分のない相手ではあった・・・・。

 倉田は困惑していた。ショウブラから独立したばかりの、何の実績も無い青二才監督は、その熱意こそふんだんにあるものの、ビジョンも何も見えてはこない。倉田もまた若かった。香港に腰を落ち着ける決心こそしたものの、25才の倉田に独立プロのデヴュー監督に賭けるだけの気持ちは生まれなかったのである。

 倉田の断った作品が『蕩寇灘』である。わざわざ彼が出演しなかった作品を取り上げているのには、それなりに理由があるものなのだ。

 この『蕩寇灘』が、後に倉田と梁小龍(ブルース・リャン)で有名になる“マラソン・バトル”の原点であるからで、更にはこの映画の成功が、真の独立プロ時代とドラゴン・ブームの立役者となる、歴史の転回点的役割を果たした作品だからだ。

 ストーリーは正直言って、あってもなくても構わないようなものである。逃亡犯・陳星が姿を潜めるとある村にも、日本軍が進出してきた。村出身の孫嵐が日本軍の手先として、陳觀泰をボスとする日本人武術隊(山怪、方野、白沙力)を率いて現れた。
 黄梅主宰の地元の武館を潰し、高札を掲げて挑発。陳星もナショナリズムを刺激されるが、逃亡犯の身では派手なことは出来ない。
 何守信の忠義武館は名門だが、門弟(于洋、劉大川、袁和平ら)に自重を促す。日本人たちは、この村に伝わる秘薬も狙っているが、正直に言ってこれもどうでも良さそうな、取って付けた様な設定だ。

 結局、何守信が自重している間に、門弟や妹・林玉洋も殺され、于洋らは捕虜に。面倒を恐れた陳星は人知れず村を後にしようとするが、世話してくれた唖の韓國才とその老父・[赤+おおざと]履仁も殺される。怒りMAXの陳星は、秘薬の在り処を教えることで捕虜を釈放させる。捕虜たちの侮蔑を受けた陳星であったが、人質を解放したことで思い残すことなく闘うのだった。
 海岸を走り回って闘う場面が“マラソン・バトル”の原点で、倉田の代りに大抜擢を受けた陳觀泰が陳星と死闘を繰り広げる。その陳觀泰は、撮影途中でショウブラに呼び戻された為、ドラマ部分の一部は、陳觀泰役という設定のボスはマスクを被ったままである。ラスト・バトルが先に撮影されていたのは幸運だった。

 武術指導は、これも独立したばかりの袁和平が抜擢され、ヌンチャクVSサイなどのアクションを構築することで、全体にアクセントをつけている。余談だが、絡みの中に汪禹の顔も見えるのだが、この後は陳觀泰と共にショウブラに帰ったんでしょうな。

 ストーリーも含めて、映画全体の出来はお粗末なものであるが、ここには確実に“何か?!”があった。それは時代の熱気としか表現しようのないものであるが、その“何か?!”は、確実にひとつの波を起こし始めていた。『蕩寇灘』は170万HKドルを越す大ヒットとなり、'72年の年間興収第7位にランクイン。

 大成功を収めた呉思遠だったが、ひとつだけ心残りなことがあった。“倉田が欲しい、もし彼が出ていたら・・・・”今更ながら説得出来なかったことが悔やまれる。陳觀泰もショウブラに取られてしまったし、やはり倉田保昭の力が必要だ。

 次回は、その呉思遠ミーツ倉田保昭実現の『餓虎狂龍』です。 

倉田保昭(2)『四騎士』 [2006年03月11日(土)]

倉田保昭(2)『四騎士』'72年製作、監督:張徹、主演:狄龍、姜大衛、王鍾、陳觀泰

 第二次世界大戦後、南北に統治されて誕生した大韓民国。1948年、李承晩大統領政権が発足。この時から韓国は長い軍事独裁政権の幕が開いた。

 1950年、北朝鮮軍が38度線を突破。朝鮮戦争が勃発。

 韓国を支援する米軍の地上攻撃が開始されたが、中国から人民解放軍が南進。一進一退を繰り返しながら、'53年に再び38度線で休戦協定が結ばれるまで戦争は続いた。
 李承晩大統領は長期政権を敷いたが、その実体は不正手段と強圧的な暴力による圧政だった。'60年の不正選挙で四度目の当選を果たした李承晩大統領だったが、人心は離れ、高まる学生運動から巻き起こった“4.19革命”により政権の座を明渡す。

 この文民革命も長くは続かず、'61年に朴正熙将軍が軍事クーデターを起こし政権を掌握。'63年の大統領選挙に当選後、韓国は再び軍事独裁による圧政が始まった。
'65年からは米軍と共にベトナムへ派兵。アメリカに次ぐ兵力を動員(最大30万人)して戦ったことはあまり知られていない。

 朴正熙政権は軍事独裁政権であり、戦争の時代でもあった。それを口実に人々は検閲など生活の多くを制限されたが、経済的には輸出政策を発展させ、戦争特需も手伝って高度成長を迎えつつあった。

 '68年、北朝鮮から武装ゲリラが侵入。韓国大統領府にまで接近し銃撃戦を展開。映画『シルミド』にも描かれたこのエピソードは、韓国側に北に対する過剰反応を引き出す。戒厳令が敷かれ、一般市民は深夜12時以降夜間外出が制限された・・・・。

 '72年4月、そんな状況の韓国に倉田保昭はいた。

 張徹が韓国の映画祭に呼ばれたから、ついでに韓国で撮影をしてきたのか、韓国で撮影するついでに映画祭に参加したのかは不明ながら、ともかく張徹一行は『四騎士』撮影のため韓国を訪れたのだった。
 当時韓国で開かれたというその映画祭は、張徹側の記録にはただ映画祭としか書かれていない。'72年頃の韓国映画祭なら「青龍映画祭」か「大鐘映画祭」のどちらかだろう。'62年に始まった「大鐘映画祭」と、'63年に始まった「青龍映画祭」が、歴史的にみても他の映画祭より可能性がありそうだ(ちなみに'72年の「青龍映画祭」最優秀作品賞は『石火村』)。

 倉田も張徹らと共に映画祭に列席したというから、当時の日本人としてはかなり早い時期に日韓交流を行ったことになる。当時の韓国では日本の文化は解禁されてはいなかったはずだから。

 映画『四騎士』は、その韓国で、韓国軍の協力を得て撮影された。映画に使用されたジープや武器などは、韓国軍からの借与であったそうだ。タイトルにある“四騎士”とは姜大衛、狄龍、王鍾、陳觀泰のこと。後に李修賢が加わって“五虎將”となるが、それはまた別のお話。

 倉田側から見たこの映画一番の見所は“陳觀泰との初対決!”これに尽きるだろう。『惡客』に於いて姜大衛、狄龍と対戦し、“倉田保昭ここにあり!”を満天下に示した。そして張徹が満を持してその対戦相手に選んだのが、『馬永貞』で売り出しに掛かった陳觀泰だったのである。

 当時を述懐する倉田は“こいつが一番のスターになるな・・・”と陳觀泰を評している。実戦派の大聖劈掛拳を習得する陳觀泰は、映画スターというより武術家であった。映画撮影時も、戒厳令下の韓国で度々喧嘩し、軍隊が出動する騒ぎを起こした陳觀泰。同行する倉田も困惑することしきりであったという。

 『惡客』撮影時と『四騎士』の間に変わったこと、それは倉田の決意と覚悟である。

 『小拳王』の撮影を終えた倉田は一旦帰国し、夫人とも相談の上で香港での仕事に賭けたのだ。その成果は『四騎士』の全編に渡って見られており、演技的にもアクション的にも、『惡客』時のような浮ついた感じは消えている。

 <ストーリー>
 横暴な上官を殴って軍隊を飛び出した狄龍は、ソウルにいる姜大衛を尋ねる途中で王鍾と知り合う。無邪気な男で掴み所が無い王鍾は、なんとなく憎めない奴だ。怪我で病院に収容されている陳觀泰を訪ねるという王鍾と共に、ソウルまで盗んだジープで旅の道連れ。

 ソウル市内のクラブでは、ホステスの李麗麗と姜大衛が気だるい午後を過ごしている。クラブの支配人・倉田保昭は、そんな姜大衛を尻目に支配人室へと消えた。
 このクラブはソウル市内の麻薬密売の拠点で、米兵が持ち込んだ麻薬を捌いているのだ。麻薬を持ち込んだGIはもう仕事から下りたいと言い出し、倉田は部下の王光裕に始末をつけるよう指令を出す。

 ジープを売り払い、王鍾と別れた狄龍。路地裏でGIと喧嘩している王光裕ら数人の男を目撃。ただの喧嘩かと思いきや、血に染まって息絶えるGI。現場を見られた王光裕は、手下と共に狄龍を袋叩き、凶器を狄龍の手に握らせて現場を去った。

 GI殺しの犯人にされた狄龍は、無実の罪を訴えるも聞いて貰えない。王光裕らにボコられた時の傷が元で、MPに連れられ軍病院へと搬送されたが、そこは陳觀泰の入院している病院だった。王鍾も見舞いに訪れており、事情を説明し、ふたりで狄龍救出計画を立てる。看護婦の井莉は陳觀泰の恋人で、院内の事情は手にとるようにわかるのだ。

 銃を入手しろと陳觀泰に言われ、ソウル市内でチンピラとコンタクトを取る王鍾。一度は騙されるが、その様子を見ていた王光裕に倉田を紹介される。“銃が欲しいなら売ってやるが、ひとり始末して欲しい人間がいるんだが・・・”GIを殺したことをボスのアンドレ・マルケスから責められていた倉田は、病院の狄龍を口封じに仕留める刺客を捜していた。
 うまい儲け話かと思って聞いていた王鍾、話が狄龍のことになったので驚いたが、平静を装って請け負った。だが王鍾が一瞬躊躇ったのを倉田は見逃さなかった。“銃は明日、仕事の前に渡す”駅での取引を約束して一旦は別れる王鍾。

 陳觀泰に状況を説明すると“やばいことになったな、暗殺しないと今度は君が狙われるぞ”と頭を抱えた。
 銃の受け取りに出向く王鍾、倉田も信じておらず尾行をつける。病院で井莉に銃を狄龍まで運ばせ、井莉が人質となることで脱出しようという手はずだったが、寸前のところで倉田一味の邪魔が入った。MPを含めた三つ巴の銃撃戦となり、その最中、井莉が流れ弾に当って命を落とした。脱出には成功した狄龍たちだったが、井莉を亡くした陳觀泰は自暴自棄に。

 話は少し遡り、倉田一味が友人の狄龍を陥れたことを知った姜大衛だったが、ボスの情婦・金霏に掴まっていた。狄龍暗殺隊が出向いた当日、“あの男なら死んだも同然よ”と聞かされ、一味の手から脱出。町で狄龍たちが指名手配を受けていることから、まだ生きていると知る。

 隠れ家に潜んでいた狄龍たちの元へ、検問を突破した姜大衛が合流。取り敢えずソウル市内から、包囲網を突破するべく李麗麗に協力を頼む姜大衛。米兵の制服を李麗麗たちと仲間のホステスに盗ませ、市内の検問を逃れたが、クラブでは制服を盗まれた米兵の訴えから、李麗麗たちの動きは読まれていた。

 郊外の隠れ家へ逃れた狄龍たちだったが、クラブで拷問されたホステス(李麗麗はすぐ殺される)たちによって居場所が知れる。ボスのところで、事件の発端となった麻薬密売の証拠を探すと、姜大衛が行動を開始する頃、隠れ家には倉田一味の手が迫っていた。

 追われた狄龍たちは体育館に逃げ込み、倉田一味との壮絶な決戦。姜大衛はクラブで李麗麗たちの無残な死体を発見、ボスとその手下の襲撃を受ける。

 体育館の道具を使って、多勢に無勢の状況から挽回していく狄龍たち。この映画の武術指導・劉家良は、後年この場面を自作『掌門人』で再現するのだ。
 ボスを倒し、狄龍たち無実の証拠を掴んだ姜大衛は救出に向うが、銃を手にして包囲を狭めてくる倉田一味に、王鍾、陳觀泰が次々と倒れていく。
 狄龍の孤軍奮闘が続き、もはやその命は風前の灯火というその時、姜大衛が飛び込み形勢は逆転。倉田を倒して皆の無念を晴らすが、体育館はMPに包囲されてしまっていた・・・・・。

 蜂の巣にされた陳觀泰の元に、自らも槍で貫かれながら寄り添うように倒れこむ王鍾。無実の証拠を掴みながら、倉田一味の残党と共にMPからの一斉射撃を浴びる狄龍&姜大衛。功夫映画でもない、浪漫暴力路線でもない大人のドラマと、死を前にした男の友情が描かれる。そして結末は彼らの報われない死だ。

 この映画の助監督を勤めたのは呉宇森(ジョン・ウー)、彼は張徹をこよなく尊敬する忠実な弟子だ。張徹の『刺馬』が『英雄本色/男たちの挽歌』『喋血街頭/ワイルド・ブリット』の原型だとすると、この『四騎士』は間違いなく『喋血雙雄/狼 男たちの挽歌・最終章』の原点だ!

 次回は『蕩寇灘』です。 

倉田保昭(1)『小拳王』 [2006年03月06日(月)]

倉田保昭(1)『小拳王』'71('70、'72年説有り)年製作、監督:頁敏、主演:孟飛

 今月は倉田保昭特集です。“倉田の前に倉田無し、倉田の後に倉田無し!”

 1970年9月『惡客』撮影の為、香港啓徳空港へと降り立った倉田保昭は、数十名の記者に囲まれていた。当時、東映の大部屋役者に過ぎなかった倉田は、“空手の出来る無名の役者が必要だから・・・・”そういわれて軽い気持ちで引き受けていたこともあって、事の次第に面食らっていたのだ。

 香港最大の映画会社「邵氏兄弟有限公司(ショウブラザース)」に日本から映画俳優が参加し、スーパースター姜大衛&狄龍と競演することから、現地でもその話題は持ちきりであった。改めて自分の置かれた状況に奮い立った倉田は、日本での面接時に会っていた監督の張徹や、武術指導の劉家良に連れられ、清水灣沿いにそびえるショウブラザース・スタジオの門を潜った。

 当初、二週間の契約でスタートしたが、一週間ほど撮影が進んだところで倉田の運命は一変していた。ラッシュの仕上がりを見た首脳陣は、鋭い蹴りを放つ倉田の動きに魅了された。時は未だブルース・リーの帰港前である。
 会社は劉家良の強い薦めもあって長期契約を希望したが、当時まだ香港で骨を埋めるつもりなどなかった倉田は、現地のスターと同じ契約額(日本円で50万くらい、ちなみに同時期の脇役は月給3万くらいだったそうだ)を要求。交渉は決裂し、撮影が終われば日本へ帰る予定でいた倉田を引き止めたのは張徹だった。

 “契約をしなかったというのは本当か?!”百萬弗導演と呼ばれるトップ監督の張徹は、独立志向が強く、外部に下請けのプロダクションを持っていた。“そこで『小拳王』という映画を撮るから、昼は『惡客』、夜は『小拳王』の掛け持ちで出演してくれないか?”という。“俺がスターにしてやる・・・・”張徹の男気を感じた倉田は、この張徹の申し出に賭けた。

 ここに、日本から来た香港映画スター・倉田保昭が誕生したのだ。

 『小拳王』の主役は孟飛という大陸から来た若い俳優で、彼を売り出すために立てられた企画だった。張徹の下請けプロ「南海影業」が直接の製作を受け持つが、倉田曰く“殺陣師の劉家良以下、スタントマンたちもそのまま移動して”昼夜兼行で『惡客』と『小拳王』の撮影を続けた。
 完成した映画『小拳王』には、武術指導として劉家良の名前はクレジットされていない。クレジットされているのは弟の劉家榮と、『惡客』で劉家良と共同で武術指導を担当していた唐佳の弟子・黄培基の二人がクレジットされている。
 が、実際には劉家良も現場で指導したのかもしれない。倉田本人の述懐にはしばしば彼の名前が登場している。

 アクションも何も出来ない新人・孟飛は撮影中、劉家良の強烈なシゴキにあっていたらしいが、その若々しい魅力から映画は大ヒットを記録。とりわけフィリピンでの人気は凄まじかったらしく、孟飛と倉田の二人はフィリピンで最高の人気スターとなった。この人気からフィリピン映画界に呼ばれた倉田は、現地で主演作『金三角龍虎鬥』を撮るまでになる。

 <ストーリー>
 タイを旅している孟飛は、現地でムエタイの選手をしている乃南、その妹・劉蘭英と仲良くなり、乃南に中国武術の一手“刀手”を指導する。

 孟飛がタイで旅行を満喫している間、孟飛の武館では日本人武術家・倉田保昭の挑戦を受けていた。道場を預かる劉江は、柔道技を使う王と空手技の倉田に苦戦。中国武術界は日本による屈辱的な蹂躙を許した。
 その倉田の目に留まったのが、孟飛の妹・李琳琳。彼女に一目惚れした倉田は、日中友好を申し出、李琳琳を食事に招待した。

 無礼な倉田の申し出を蹴った李琳琳だったが、度重なる招待で更なる屈辱に耐えていた。そこへ孟飛が帰国、“おのれ!無礼なる振る舞い許すまじ!”と立ち上がる。中国武術界で“小拳王”と評判の孟飛が代りに食事の招待を受けた。案の定、倉田らと乱闘になったが、“小拳王”孟飛の前には歯が立たない。必殺の“刀手”を叩き込もうとしたした瞬間、“兄さん、殺してはダメ”という李琳琳の声で我に返った。

 改めて和解の宴が開かれた。そこに胡散臭いものを感じてはいたが、“倉田さんはもう日本に帰るから・・・”という言葉を信じて赴く孟飛。食事の席は和やかに進んでいた。三味線弾きの親父が見事な腕前を披露し、テーブルを回って心づけを受け取る・・・・その時!三味線弾きがナイフを取り出し、孟飛の腹を一刺し!
 『報仇』『馬永貞』を思わせる卑怯な罠だ。ここから映画のトーンは一気に“浪漫暴力路線”に。
 ショウブラのオープンセット(『報仇』で使ったやつ)に次々と現れる、斧やナイフを携えた黒服の男たち。腹を裂かれて鮮血滴らせる孟飛の孤軍奮闘も空しく、嬲り殺しに。

 主役が途中で死ぬという、後に『洪拳小子』でも繰り返される驚愕の展開だが、あまりにも唐突なため成功はしていない。この失敗を踏まえて、伏線とキャラクターをきっちり書き込む“小子片”に繋がっているのだ。

 戸板で帰宅した孟飛。悲しみに沈む李琳琳や劉江は、葬儀の準備を進める。彼らも途方に暮れているが、観客もこれからの展開に途方に暮れた。
 突然、タイの乃南&劉蘭英の兄妹が、孟飛を訪ねて中国へと旅をする決心を固める場面がカットバック。そのために冒頭の退屈なタイ・ロケがあったのか・・・・と、取り敢えずは納得。
 孟飛より教えられた必殺“刀手”を駆使する乃何は、孟飛の墓前で復讐を誓うと、横暴な日本人武術家たちを蹴散らすのだった。

 映画的にはやや中途半端で、冒頭延々と意味も無く(そう思える)続くタイ・ロケの場面が退屈な上、孟飛突然の死も上手く処理されてはいない。
 だが、後に『方世玉/武道大連合 復讐のドラゴン』でもコンビを組む王との初タッグや、後にブルース・リーの手に渡ることになるヌンチャクを初披露するなど、倉田方面から見るとそれなりに見所も多い。
 劉家良・唐佳ラインで集められた絡みのスタントマンたちは、任世官、徐蝦、劉家榮、黄培基、山怪などそれなりの顔ぶれでもあるのも興味深い。

 次回は『四騎士』です。 
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