旧myroom(香港電影的日常 '01/2/17〜'06/1/29)より移転。

 香港映画を中心に語っていますが、基本的には何でもアリです。
 なお日記に記載の内容は、無断転載、転用はお断りいたしております。ご理解下さい。(by fake)

 ・・・・あと、リンクもフリーではないんです。すんませんなぁ。

倉田保昭(8)『爬山虎』 [2006年04月30日(日)]

倉田保昭(8)『爬山虎』製作年度不明('73年説有力、'71年、'72年説有り)、監督:劍龍、主演:倉田保昭

 まず製作年度の謎から探る。

 '73年説が有力である点だが、この映画は全編台湾でロケされている。倉田が台湾入りするのは『英雄本色/ドラゴンVS不死身の妖婆』撮影のためで、倉田自身もこの作品が最初の台湾映画だったと証言する。よって、'71年や'72年は説として論外であろう。
 実は多くの資料が'72年説をとっており、『餓虎狂龍』『猛虎下山』の間に製作されたとしているのだが、『餓虎狂龍』の香港公開は'72/12/6、『猛虎下山』は'73/1/27である。
 『餓虎狂龍』から『猛虎下山』まで実質二ヶ月、ポストプロダクションの期間があったとしても、その間に台湾で一本撮ることは不可能ではないか?

 倉田の顔つきからいっても『爬山虎』が極めて初期のものであるのは間違いない。そうなると、やはり『英雄本色/ドラゴンVS不死身の妖婆』のため台湾に渡ってからと考えるのが正解だろう。

 公開データを眺めていると面白いことにぶつかった。

 『英雄本色/ドラゴンVS不死身の妖婆』の公開は、実に『猛虎下山』から一ヵ月後の'73/2/10なのだ。これは早い! 撮影から完成までも早いが、独立プロに出演を始めた倉田に眼を付け、出演交渉に至るまでの段取りを含めれば、黄卓漢は相当早くから倉田に注目していたことになりはしないか?!

 ところで、この『爬山虎』は倉田保昭主演作であると云われている。そこで思い出されるのが『上海猛虎』という映画だ。

 古い資料では、'73年に製作された『上海猛虎』という作品が、やはり倉田保昭初主演作品ということになっていた。ところが、最近の倉田フィルモグラフィからは、この『上海猛虎』は完全に消えてしまっているのだ。
 倉田保昭が正義の中国人を演じた映画なら他にもある。この日記でも過去に紹介した『強中手』や、『金三角龍虎鬥』がそれだ。
 が、『上海猛虎』の監督は劍龍と資料にあり、『強中手』の陳洪文、『金三角龍虎鬥』の羅棋とは重ならない。この『爬山虎』だけが、『上海猛虎』と同じ劍龍作品なのだ。『爬山虎』と『上海猛虎』、恐らく同じ映画だと思うが。

 日中国交正常化の影響で、反日感情がピークにある'73年に、日本人俳優を主役に、しかも中国人役をやらせる映画が存在したこと自体が十分に驚きである。いかに当時の倉田保昭が中華社会で高く評価されていたかの証明だが、この映画が『上海猛虎』であるなら、当時の新聞評には反対論も掲載されたという。曰く“中国人俳優は大勢いるというのに、日本人に中国人役をやらせるとは何事か・・・”と。

 <ストーリー>
 実のところ北京語オンリーで中文英字幕もないビデオからは、物語は完全に理解出来たとは言い難い。簡潔に説明すると、どうやら日本軍占領下の上海に、どこぞから帰ってきた倉田が、父母の死を知らされる。
 知らせたのは屋敷の奉公人・康凱。横暴を極める占領軍(劉楚、龍飛、魯平etc)に殺されたことを知った倉田は、ひとりテロリズムを展開。山茅、黄龍飛、呉東橋など、渋い顔合わせを実現させながら倒していく。

 倉田には日本人協力者・孫嘉琳がいるのだが、とにかく彼女の役割が一切不明。和服を着ていること、日本軍にそれなりの顔が利くことから日本人だとは思うが、彼女は最初から倉田の味方だ。民族を超えた恋人同士らしいが、倉田が死んだと勘違いした彼女は自ら命を絶つ。
 
 倉田は捕えられ処刑を待つ身となったが、康凱が自爆テロを仕掛け占領軍を蹴散らす。康凱の意気に何かを感じた魯平は、倉田の縛めを解き一騎討ちを仕掛ける。倉田VS魯平という、ちょっと考えられない顔合わせのクライマックスは、頭突きや関節技、投げ技も駆使して闘うハードな殺陣。

 映画としても、アクションも決して悪くはない映画だが、この映画には何かが足りない。

 それは“倉田保昭”の存在だ!

 倉田保昭を越える悪役の不在が、何となくこの映画を居心地悪いものにしている皮肉。それほど倉田の悪役としてのインパクトは絶大なのであり、倉田保昭という悪役を欠いた映画が、映画そのものの出来、不出来とは関係なく完成度を著しく下げているのだ。

 余談です。
 かつて倉田は自著において、『師弟出馬/ヤングマスター』でジャッキーが腕の力だけで壁を登っていく場面を凄いと褒めていたことがある。その時に、“私は同じことができなかった経験がある”と述懐していたのだが、その場面が出てくるのがこの映画『爬山虎』なのだ。
 確かに、壁を登っていく場面はロングだとスタントであることが判るし、倉田がアップになる場面は真下からのあおり映像のみである。恐らくは見えないようにワイヤーで吊っているのだろう。
 だからどうということもない話題だが、倉田証言の検証をしている身としては、そのことが事実であったことを伝えおく次第であります。

 管理人引越し作業のため、倉田特集五月はお休み。何も書かないのではなく、用意してある別原稿をアップします。再開は六月から、お楽しみに!

倉田保昭(7)『英雄本色/ドラゴンVS不死身の妖婆』 [2006年04月15日(土)]

倉田保昭(7)『英雄本色/ドラゴンVS不死身の妖婆』'73年製作、監督:丁善璽、主演:王羽

 本題の『英雄本色/ドラゴンVS不死身の妖婆』に移る前に、この間の倉田の身に起こった出来事をまとめておこう。

 ブルース・リーの幼友達である陳炳熾(ロバート・チェン)から、『精武門/ドラゴン怒りの鉄拳』撮影中のブルースに会わせるとの知らせが。最初誰のことだかピンとこなかったらしいが、“『唐山大兄/ドラゴン危機一発』をヒットさせた奴だ”との回答に驚き、ゴールデン・ハーベスト撮影所へ。
 一部資料に、この映画の日本人武術家に倉田を!といった動きがあったとか、ブルース・リーがそう望んでいたとかの話もあるが、既に撮影中であったことからみても、そんなことがあったとしても倉田保昭にはその話は伝わってはいなかったようだ。

 ここでの倉田とブルースの邂逅については改めて書くには及ぶまい。短い期間ながら二人は友情を育んだ。この流れが『麒麟掌』への出演を生んだ訳で、映画そのものは不幸な出来の代物でも、倉田とブルース・リーが共同で映画界に残した唯一の証として、歴史にその名を残している。

 張徹、劉家良から認められ、呉思遠、ブルース・リーからも注目された倉田の元には、当然ハーベストからも出演依頼が舞い込んだ。茅瑛(アンジェラ・マオ)の『合気道/アンジェラ・マオの女活殺拳』がそれだ。
 張徹への義理からハーベストの仕事は断った倉田だったが、サモ洪金寶が武術指導を担当し、ジャッキーがスタントで出ていたこの映画に出演していたら、後の歴史はどう変わっていたものか・・・・・。

 すっかり売れっ子になった倉田に、新たに三本契約を結びたいと申し出た会社が現れる。“香港”第一影業だ!

 訳もわからずサインしてしまった倉田だったが、“じゃ、ロケは台湾ですから”と聞かされてビックリ!'72年に結ばれた日中国交条約は、大陸以外の中華圏で大規模の反日運動を巻き起こし、特に中国との関係が微妙な台湾では、日本人排斥にまで高まっていたのだ。
 事情を説明した倉田だったが、“香港”第一影業(それは名ばかりで会社の本拠は台湾)代表の黄卓漢は、“君はもう香港の俳優なんだ!”と説得。倉田自身、“陳星や梁小龍も既に行ってるから・・・”とか、“ジミーとは一度会ってみたい・・・”とかの理由から説得され、会社からは身の安全は保証するという確約をもらい、台湾へと飛んだ。

 そうして撮影されることになったのがこの『英雄本色/ドラゴンVS不死身の妖婆』だ。

 以前からの疑問のひとつに、ここで倉田保昭に眼をつけたのは、いったいジミーなのか?それとも黄卓漢だったのか?ということがある。
 倉田がショウブラと契約したのはジミー離脱後。だがジミーがショウブラでの活躍を目にとめない訳がなく、独立プロでの成功(それも呉思遠と!)、ブルース・リーと会ったことや、ハーベストからの誘いなど、同じ業界人としてジミーも注目していたはずだ。
 この疑問にはジミー本人が近年のインタヴューで回答を与えてくれた。倉田をキャスティングしたのは黄卓漢だったと。抜け目のない商売人の黄卓漢は、陳星から梁小龍まで引き抜くことで、ヒットしている独立プロの方程式をそのまま、自分の会社に持ってこようとしたのだ。
 そしてそのためには、どうしても倉田保昭も必要だった!

 完成した映画については、日本版も発売されている現在、くどくどストーリーを載せるには及ばないだろうが、全然ご存知のない方のために少しだけ。

 かつての日本軍占領時代、中国側スパイの手引きをした魏蘇(これがジミーの父)により、自殺に追い込まれた日本軍高官・蔡弘。この息子たち三人(倉田保昭、龍飛、山茅)が、気功の達人・謝金菊に育てられ台湾へと復讐に訪れる。
 タクシー運転手のジミーは喧嘩騒ぎの毎日で、父親に迷惑をかけているが、“ジミーまた暴力事件!”的な日々は、当時のジミー本人を連想させていて面白い。
 父親が狙われたことから倉田たちと対決、彼らを倒したものの、今度は謝金菊が現れ対決を迫る。
 この謝金菊がタイトルにある“不死身の妖婆”で、気功を駆使する彼女は、武侠片における“鐵布衫”のごとく不死身なのだ。

 無敵のタクシー運転手と不死身の妖婆の闘いという、いたってトンチキな映画だが、輸入のブート版時代からファンは多く、これでジミーにハマったという人も多い。

 不死身の妖婆を演じた謝金菊は、台南では有名な気功の武術家で、映画にも数本出演。“モーレツおばさん(欧米ではクンフー・ママ)”として一部のファンには有名な『山東老娘』や、嘉凌(ジュディ・リー)の『酔拳女刀手』などで印象的な活躍をみせる。
 気功道場を一緒に経営していた夫には絶対服従だったらしく、撮影のアクションに失敗してビビっている彼女を叱りつけ、もう一度やらせていたとはジミー本人の談。
 そのジミーは、背丈があまりにも違う為アクションは非常にやり難くて困ったと述懐。珍しくジミーの方で合わせています。

 裏話としては、役作りのため五日間タクシー運転手として働いたそうで、タダ乗りの客や酔っ払いには手を焼いたそう。また、場所がわからなくて客に怒鳴られることもしばしばだったらしいが、客も相手がジミーだと知っていればそんな恐ろしいことはしなかっだろーに(笑)。

 撮影期間中、倉田はジミーにひとかたならぬ世話になったりもしたらしく、ジミーですら当時の台湾映画界は滅茶苦茶だった・・・と語るほど大変だった現場を乗り切れたのは、ひとえにジミーのおかげなのだ。倉田自身、香港時代にオーラを感じたのはブルース・リー以外ではジミーだけだったそうで、なんだかんだ言っても偉大な男だよジミーは。

 そんな倉田の台湾激闘時代は後の回に譲るとして、次回は初の主演作品『爬山虎』です。

倉田保昭(6)『猛虎下山』 [2006年04月06日(木)]

倉田保昭(6)『猛虎下山』'73年製作、監督:呉思遠、主演:陳星

 月給3万円、食うにもこと欠いて、倉田にすら食事をたかっていた陳星は、『蕩寇灘』『餓虎狂龍』の大ヒットで別人に変貌した。一本あたりのギャラは300百万円ほどにハネ上がり、監督の呉思遠共々、独立プロを成功させた立役者として、業界でも肩で風を切って歩くようになっていった。

 引き続いて彼らの作品に出演依頼を受けたが、今回は創設間もない恒生電影製作だった。恒生電影設立の経緯は不明ながら、呉思遠が関わっていたらしいことと、ショウブラ傘下の邵氏父子電影公司に配給権があったことなどからみても、設立されたばかりの独立プロとしては大きな後ろ盾を持っていたことになる。ショウブラとの交渉にも呉思遠が当ったものと推察はされるが・・・・。

 大スターになったにも関わらず、相変わらずケチ臭い陳星は、現場スタッフへの差し入れも会社経費で賄うなどしていたらしいが、ハードな撮影現場にはよく耐えた。およそ2ヶ月の撮影期間中、クライマックスのアクションだけで2〜3週間を要したという。倉田も陳星も、実際の試合を行ったと同じくらいに、体中傷だらけ、痣だらけであった。

 <ストーリー>
 1932年、日本軍は上海に侵攻、俗に言う上海事変の始まりだ。ラスト・エンペラー溥儀を擁立、傀儡政権による満州国を成立させた。

 この映画の冒頭で1932年という年号が示されるが、こういう時代だったのだ。

 映画の舞台となるのは満州国から遠く離れた鄙びた漁村だ。予算の少ない独立プロに、関東軍の侵攻と中国人民の抵抗運動を描くほどスケールの大きな映画は作れる訳がない。よって舞台となるのは、漁村に現れた日本人と漁民の闘いになるのだ。
 だが、バックグラウンドとしては上海事変があった、ということは知っておかなければ、作品世界への理解は深まらない。

 鄙びた漁村にも日本軍の影は迫っていた。直接軍隊の支配こそ受けてはいないものの、漁協の営業所は日本人に接収された。我が物顔で村を闊歩する日本人武術家・周江、陳嶺威、染野行雄、李家鼎らと、地元の漁民たちとの間に生まれた軋轢は広がる一方だった。孫嵐のように日本人に追従する人間がいる一方で、黄元申を中心とする若者グループ(韓國才、梁小熊、何天誠、祁浩劍、梁小龍、龍方)には抵抗の機運が芽生え始めていた。

 新たに出張所所長として赴任した倉田保昭は、地元に広がる抵抗運動を押さえ込むため、殺された日本人の代りに無作為に選んだ漁民を吊るし上げた。吊るされた漁民・祁浩劍は晒し者にされたが、遺体を引き取ろうとするは容赦しないと倉田は宣言。アメリカでボクサーをしていた陳星が、村へと帰ってきたのはそんな時だ。

 陳星が婚約者の黎愛蓮を連れて帰村した理由は、アメリカ時代にボクシングの試合で恩師の息子を殺してしまったからだった。闘いを恐れた陳星は拳を封印したが、黎愛蓮はそんな陳星に、あまり深刻にならないよう諭す。

 帰村した陳星に、相変わらず少し頭の弱い役柄の韓國才が、村人が吊るされていると教える。その話を冗談だと思った陳星は、なら俺が助けてやろうと申し出る。案内された先で陳星が見たものは、無残に吊るされた祁浩劍の姿と、日本人武術家の姿だった。
 行きがかり上助けなくてはいけなくなった陳星、拳は封印して捧術で李家鼎をあしらう。陳星の実力を見て取った倉田は、部下の暴発を抑え鉾を収めた。

 倉田の目論見は、別のところにあった。この村を拠点に満州国を後方支援することで、漁民を抑え船を徴収し、抵抗運動の阻止をするのが本当の目的であったのだ。
 一躍漁民の英雄となった陳星だったが、兄・[赤+おおざと]履仁の家で静かに漁民として暮らすことを望んでいた。陳星を英雄視する甥の黄元申はそんな陳星の態度に不満顔を見せる。
 村では日本人の横暴が続き、黄元申は抵抗を組織し、反抗の機会を窺う。黎愛蓮との静かな暮らしを望む陳星は度重なる嫌がらせにも耐えていたが、陳嶺威らに襲われた女性を助けようとした梁小熊が掴まったことから、行動を開始。嫌でも日本人との抗争に巻き込まれていくことを黎愛蓮に詫びる陳星だったが・・・・。

 黄元申は村人に武術を教え、倉田暗殺を試みる。暗殺隊に選ばれたのは梁小龍と龍方。割と大き目の役を貰った梁小龍が倉田に挑む!梁少松、李銘と共に、本作の武術指導を務めた梁小龍。ちなみに彼は、前作と本作でヒロインを務めた黎愛蓮と熱愛。スタントマンと主演女優という立場でありながら後に結婚している。
 黄元申も各個撃破で周江を倒すも、自身も傷を負い黎愛蓮に匿われる。村人の抵抗を抑え切れなくなったと感じた倉田は、周江暗殺の下手人探索のため、無差別に村人を逮捕。同時に、村にある全ての船を焼き払い撤収を開始。
 [赤+おおざと]履仁の家も捜索され、黄元申と黎愛蓮が掴まった頃、村人を助けるため立ち上がった陳星が、李發源や楊世鈎らと闘っていた。

 今回はマラソンバトルではない。『蕩寇灘』の実験から、『餓虎狂龍』で一応の成果を挙げたマラソンバトルだったが、同じことを繰り返すほど呉思遠もバカではない。雑魚敵(李發源や楊世鈎)、中ボス(染野行雄、李家鼎、陳嶺威)、そしてラスボスの倉田まで、場所を変え、手段を変えながら闘っていくオーソドックスなパターンだ。
 陳星VS倉田だけで引っ張った前作と違い、乱戦から一騎討ち、素手の闘いから武器を使った闘いまで、ノンストップで繰り広げられる。ラストの陳星戦も、『餓虎狂龍』に比べればあっさり感があるものの、問答無用のド突き合いはさすがの迫力。

 倒しても倒しても起き上がってくる倉田、撮影途中でもうそろそろ殺してくれよと思いながらやっていたそうだが、呉思遠は撮影中決して容赦も妥協もしなかったという。その情熱が、予算の枠を超え、見た目の貧相さから作品を救う唯一の道だと呉思遠は信じた。
 大変な撮影だったかもしれないが、倉田保昭も大フューチャーされている。劇中、空手の形やヌンチャクを演武する場面を何回も用意され、OPとラストしか出番のなかった前作に比べれば、作品世界に倉田の占める割合が増している。人物的にも、複雑な要素が増え、侵攻計画支援の裏で、漁民に恫喝をかけ、時に懐柔策を見せるなど、演技的にも一段上のものを見せているのだ。

 『猛虎下山』も大ヒット(この時代のヒット基準100万HKドル・オーバー)、呉思遠、陳星とのトリオは磐石かに思えた・・・・。そんな倉田保昭に、台湾から熱い視線を送っている男がいた、第一影業代表・黄卓漢その人である。

 次回は、VSジミー!『英雄本色』です。
trackback Blog by isao.net