旧myroom(香港電影的日常 '01/2/17〜'06/1/29)より移転。

 香港映画を中心に語っていますが、基本的には何でもアリです。
 なお日記に記載の内容は、無断転載、転用はお断りいたしております。ご理解下さい。(by fake)

 ・・・・あと、リンクもフリーではないんです。すんませんなぁ。

『Talladega Nights:The Ballad of Ricky Bobby』 [2006年08月20日(日)]

『Talladega Nights:The Ballad of Ricky Bobby』'06年製作、監督:Adam Mckay、主演:Will Ferrell

 この夏、アメリカ人が一番期待していた映画がコレだ!

 『スーパーマン・リターンズ』や『パイレーツ・オブ・カリビアン』も期待はされていたが、基本的にこれらは子供の映画である。『Talladega Nights:The Ballad of Ricky Bobby』(以下『TN』)は、一般観客層の(←実はこれこそが笑いのタネだ)期待率という点では間違いなくNo.1だった。
 期待に違わぬ大ヒットを記録中の『TN』だが、この映画を日本で理解するのは難しい。公開候補に挙がっているのかどうかも不明の現在だか、この映画の笑いの本質はアメリカ人にしか解からないものであろう。

 映画の舞台となるのは“NASCAR”と呼ばれるストックカー・レースだ。現在では、野球、アメフト、ホッケー、バスケと並んで、第五のメジャー・スポーツに成長したほど人気がある。
 ストックカー・レースの組織はNASCARだけではないが、現在一番人気があるのはNASCARであるため、ストックカー・レースといえばNASCARを指すのが現状だ。
 NASCARは、四輪市販車を改造した車を使うレースであり、ヨーロッパで主流をなすフォーミュラカー・レースとは違う、アメリカ独自のレースである。

 なんたってアメリカ人は、このアメリカ独自ってのが大好きであるから、NASCARにおいてはロードレース式のサーキットなんか走らない。少々ぶつけても大丈夫なように改造もされているが、相手にぶつけながら楕円形のコースをひたすらグルグル走るのである。これならば、どこから見ても誰が一番か判る!この単純さこそ最もアメリカ人の好む形式であろう。

 アメリカ独自である点においては、野球だって、バスケットだって、アメリカン・フットボールだって同じであるが、これらはヨーロッパ形球技の改良や発展形だ。NASCARの起源こそ、アメリカ独自の最たるものであり、ここを理解していないと、映画そのものの笑いの仕組みも理解できない。

 時は禁酒法時代。

 1930年代のこの馬鹿げた悪法は、映画でも度々取り上げられているのでお馴染みだろう。有名なのはFBIのエリオット・ネスが、悪漢マフィア・アル・カポネと闘うTVシリーズ「アンタッチャブル」でしょうか。
 そもそも何でこんな馬鹿げた法律が出来たかというと、世界大恐慌の影響なんですな。ま、“こんな時に酒なんか飲んでないで、前向きに働きなさい”ということなんでしょうけど、今にして考えれば、こんな時だからこそ飲みたいんじゃないの?って感じです。
 しかし、この悪法は生き続けた。これによって一番儲けたのがマフィアで、それは「アンタッチャブル」でも描かれていますが、マフィアがかくも巨大な組織に成長したのは、実に禁酒法のおかげだったと言われているほど。

 で、この禁酒法時代にマフィアが活用したのが密造酒。これにはなんと南北戦争の傷跡が絡んでいるんですよ。

 南北戦争は、アメリカを二つに分けた経済戦争だったのだけど、これに敗北した南部連合は、奴隷制度を基盤にした経済活動の一切を根底から覆されてしまった訳。その傷跡から立ち直らないうちに、世界大恐慌の追い討ち。この時期の南部は絶体絶命のピンチに追いやられていたんです。
 ここに眼をつけたマフィアは、彼らに密造酒作りを持ち掛ける。かつて裕福な南部の綿花農家だったところは、デカイ土地と酒を作るための納屋だけは豊富にあった。自家製ウィスキーひと箱で、家族や一族が暮らしていけるなら、誰だって密造酒に手を染める。まして、酒くらい飲みたいのは人間誰しもなのだから。
 更にこの密造酒作りという行為、北部人(南部では“ガッデム・ヤンキー”と言います)が牛耳る中央政府に対し、ただの1%も税金を払わなくていいというのだから、これほど痛快なことはない!

 中々NASCARまで行き当たらないんだが(笑)、彼らが登場するのはこれから。さて、密造酒が出来ました!酒飲みは南部人だけとは限らないし、全国に売った方が儲かるのはマフィアでなくとも判る事。そこで、警察やFBIの眼を掠めて、密造酒を全米に運ぶドライバーが必要となってくる。
 どうせ仕事にあぶれているんだし、農場仕事ということは、かつてカウボーイだった荒くれ連中が多くいる。じゃ、俺たちで運ぶか!ということに決定!
 かくして、全米を股に架ける密造酒運びが開始された。

 この密造酒運びと聞いて、映画ファンならバート・レイノルズの代表作『トランザム7000』を思い出すだろう。あれこそ現代に残る“ムーン・シャイン・ドライバー”の姿を描いた映画で、“ムーン・シャイン・ドライバー”ってのが密造酒の運び屋こと。“ムーン・シャイン”つまり月影のごとくって意味だ。
 バート・レイノルズ映画の歴史こそ、NASCAR成り立ちの歴史と全く同じなんですよ。この密造酒運びから始まった走りは、やがて“ムーン・シャイン・ドライバー”同士の腕試しという側面に変わってくるんです。
 “ジョージアの〇〇は速いらしいぜ”、“いやテネシーの××の方が速い”この噂は当のドライバー達にも聞こえ、警察に追われている最中でも、公道で出っ喰わせば勝負を挑んだ。

 やがてドライバー同士が勝手に集まって違法レースを始めるんですが、これがバートの映画だと『キャノンボール』の部分。ついにはフロリダ州デイトナ・ビーチにおいて、“ムーン・シャイン・ドライバー”同士によるレース大会が開かれるまでに。これがストックカー・レースの始まりで、だからその歴史を受け継ぐNASCARは四輪市販車を改造して行われるのだ。ちなみにバート・レイノルズが『キャノンボール』シリーズの次に出演した映画こそ、ストックカー・レースを題材にした『ストローカー・エース』。ね、ちゃんと“ムーン・シャイン”からNASCARになってるでしょ!

 映画『TN』に話を戻したいが、まずはこれだけのことを理解していないと始まらないのだ。

 ウィル・フェレル演じる“リッキー・ボビー”は、“ムーン・シャイン・ドライバー”である父(グレイ・コール怪演!)の血を曳き、スピード狂が高じてNASCARドライバーに。小学校時代からのポン友・ジョン・C・ライリーと共に、今日もレース場で“Shake & Baby !”。
 向うところ敵なしだったが、ヨーロッパからフォーミュラ・レーサーのサーシャ・バロン・コーエンが、リッキー・ボビーを倒す為NASCARに転出してくる。
 コーエンに破れ、レース中のクラッシュのトラウマから立ち直れないリッキー・ボビー、チームを解雇され、女房も寝取られた。

 失意のリッキー・ボビーは、母の元に帰りピザ屋でバイト。立ち直れない我が子の為に20年間音信不通だった“ムーン・シャイン・ドライバー”の父を呼び戻す。
 憧れの存在だったが、常に行方知れずだった父と打ち解けられないリッキー・ボビー、相変わらず無茶苦茶だが、息子の為にひと肌脱いだ父の協力によって立ち直り、打倒コーエンを目指してレースに復帰!

 こうしてストーリーを掻い摘むと、ただのスポ根もののようだ(笑)。

 生まれてから10年行方知れずで、一度だけ会った後、その後更に20年間音信不通だった“ムーン・シャイン・ドライバー”の父親という設定は、非常にコメディっぽいが、コレはあながちコメディだからという訳ではない。伝説の“ムーン・シャイン・ドライバー”ジュニア・ジョンソンは、ストックカー・レースが競技として確立されてからも密造酒を運び続け、懲役2年の実刑を喰らって服役。おかげで彼はNASCARには優勝していない。そしてジュニア・ジョンソンの父親も、64年の生涯のうち20数年をム所で暮らした筋金入りの密造酒業者だった。リッキー・ボビーのような関係を実践していた人物、というより、彼らが映画のモデルと考えていいだろう。

 ところでカーレースの世界には、ほとんどといっていいくらい黒人レーサーが存在しないのをご存知?ヨーロッパ貴族の流れを組むモータースポーツは、やはり金持ち(それもハンパねぇ金持ち)のスポーツで、金持ちであるだけでなく出自などもうるさいため、黒人の入り込む余地などないのが現状。
 南部“ムーン・シャイン・ドライバー”の流れを組むNASCARにいたっては、レーサーはおろか、観客席にすら黒人の姿は見えない。他のモータースポーツなら、観客席くらいは座っていそうなもんだが、NASCARの会場で黒人を見かけることは、本当に稀(少なくとも私は見たこと無い)である。

 ここが映画『TN』最大のキモなのだ。映画にはマイケル・クラーク・ダンカン演じるメカニックが登場するが、これはハリウッド映画としての政治的配慮という意味でのキャスティングだ。
 一般的な貧しい白人(ホワイト・トラッシュのことではない、貧しい白人は何でもかんでもトラッシュ呼ばわりするのは間違っている!)、これは南部人には限らないが、差別には無自覚だが、やはり彼らは黒人に対して無意識な差別感を持ち続けているのが動かしようの無い事実だ。
 映画『TN』にもその白人層に存在する無意識の差別が根底に流れており、映画はそんな白人たちの生き方そのものを豪快に笑い飛ばすのである。

 NASCARファンが保守的であることを証明するデータとして、観客層の年齢幅が50代〜30代のみが圧倒的に多いということも挙げられている。
 NASCARが五大メジャー・スポーツに成長しようと、それを見るのは白人たちだけである。彼らにとってここが、他のスポーツのように黒人の進出を受けない、白人に残された最後のフロンティアであるからだ。
 
 映画『TN』にとっては、これだけのバックグラウンドを元に、バカで保守的な白人層に突きつける刃が、コメディとしての最大の武器であり、ここを理解していなければ、ちょっとふざけたレース映画、くらいにしか思われない。日本で公開されたとしても、恐らくはそういう評価で終わるだろう。

 映画の企画を立て、脚本も自ら書いて主演したウィル・フェレルは、TV「SNL」出身の人気コメディアン。長身のオール・アメリカン・ボーイ・タイプでありながら、徹底的にボケに徹する様は、彼が「SNL」出身の偉大なる先輩チェビー・チェイスの正統な後継者であること物語る。
 監督のアダム・マッケイもフェレルが「SNL」出演している当時からつるんでいる仲間で、フェレルの持ち味を最大限に発揮させ、彼の代表作に仕上げた。

 フェレルがチェビー・チェイスのタイプということは、十中八九、日本では人気は出ないことを意味しているが、音楽の使い方も絶妙、各出演者全員が怪演を見せ、迫力のレース場面が展開されるスーパー・コメディ『Talladega Nights:The Ballad of Ricky Bobby』、願わくば日本のスクリーンでも公開されんことを!

『NACHO LIBRE/ナチョ・リブレ覆面の神様』 [2006年08月16日(水)]

『NACHO LIBRE/ナチョ・リブレ覆面の神様』'06年、監督:JARED HESS,主演:JACK BLACK

 ジャック・ブラック演じる修道士・イグナシオは、教会の孤児院で育ち、現在もその孤児院で修行を続けている。子供の頃から筋金入りのボンクラで、何をやらせてもまともに出来ないため、炊事係りをやらされている。本人もこのままではダメだと思っているのだが・・・・。
 子供の頃から“ルチャドール(メキシコのプロレスラー)”に憧れていたイグナシオは、貧乏な孤児院と、己の生活を変える為、謎のマスクマン“ナチョ”としてリングに立つ。

 この話には元ネタがある。

 日本でもドキュメント番組やニュースに取り上げられたことがあるし、本人も日本で試合をしたこともあるので、ご存知の方も多いだろう。“暴風神父・フライトルメンタ”がそのモデルだ。

 当たり前ながら、本物のフライトルメンタは、この映画とは違う人生を歩んだ。フライトルメンタ、本名:セルニオ・ペニテスは、貧しい農家の17人兄弟に生まれ、貧しさからグレていたセルニオ少年は、留置場暮らしも経験したという。
 20歳を越えてから更生の道を探し始めたセルニオ、地元の神父にすがり付くも、札付きの彼は教会を追い出されてしまう。

 このことが却ってセルニオを神の道へと導くことになる。自分のような若者は大勢助けを求めているにも関わらず、まともに話も聞いて貰えない。自分が神父になることで、自分と同じような人々を救おうと決心したのであった。
 神父になるための勉強は10年も続いたが、セルニオは決して諦めず、32歳にして神父になるや、多くの貧しい子供たちを救うことに身を捧げ始めた。

 セルニオ神父の教会には続々と子供たちが集まり始めたが、子供たちの多くは貧しさから悪の道に踏み出したものがほとんどであったという。寄付で成り立っている教会も豊かではなかったのだが、更生の芽が見え始めた子供たちを、再び貧しい生活に追いやることは出来ない。
 思い悩んだセルニオ神父は、テレビでみた“ルチャ・リブレ(メキシコのプロレス)”にヒントを得る。神父が生活のためにリングに立つなど許されることではないが、覆面をしていれば素性はバレないし、メキシコでの“ルチャドール”の地位は高く、一流になれば高収入も見込める。これで教会も子供たちも救える!

 1976年、32歳のセルニオ神父は“暴風神父・フライトルメンタ”として新たな挑戦を開始したが、現実はそれほど甘くはなかった。
 一流の“ルチャドール”は確かに高収入だ。この時代ならば、聖者エル・サント、仮面貴族ミル・マスカラス、孤狼仮面エル・ソリタリオ、鉄人レイ・メンドーサ・・・etc、彼らは豪邸を幾つも持ち、高級車を乗り回し、常に美女を侍らせていた。だが、彼ら成功者は“ルチャドール”のホンの一部である。何百人も存在する“ルチャドール”のほとんどが、田舎のドサ廻りで生計を立てているのだ。

 神父の仕事と両立は難しく、32歳という遅咲きデヴューは、体力に問題があることも示していた。一試合200ペソ(30円くらい?)で田舎町のリングに上がり続け、負けても怪我しても、試合に出場した。 
 やがてセルニオのしていることは子供たちの知ることとなったが、子供たちはその正体に関しては沈黙を守り続けた。ただ、フライトルメンタがあまり強い“ルチャドール”ではないことが、子供たちには、ほんのちょっとだけ哀しかった・・・・。

 子供たちのために孤児院を兼任する広い教会を建てよう!そう心に誓ったセルニオ神父は、50歳近くになってもリングに上がり続けていた。しかしその噂はいつしかメキシコ中に聞こえ始める。“フライトルメンタって本物の神父でさ、貧しい子供たちのためにリングで闘っているんだって”マスコミがその姿を追いかけ、心優しいセルニオの話題は人々の心を打った。

 相変わらず弱かったが、人気“ルチャドール”となったフライトルメンタのファイトマネーは上がり、'88年には念願の孤児院を建設。こんどはその維持費とも闘うことになったが、神父の背中を黙って見続けてきた子供たちの中から、ひとりの青年がフライトルメンタJrとしてリングに立った。
 Jrのデヴューを見届けた神父は、リングでマスクを引き継ぎ、56歳にして引退した。その模様はメキシコ中に中継され、素顔になったセルニオ神父は、子供たちのことを誇りに思うと語った。3000人以上の子供たちを更生させ、育て上げたセルニオ神父、フライトルメンタのマスクにある赤い縫い取りは、子供たちのために血の一滴までも闘い抜くという意味であった。

 とまあ、本物はとっても泣かせる話なんですがね、『ナポレオン・ダイナマイト』を撮った監督のジャレッド・ヘスが、そんなお涙頂戴の映画なんて撮る訳ありませんやね。真面目なフライトルメンタについての映画が観たい人は、ジャン・レノ主演の『グランマスクの男』('91)をご覧下さい。

 ジャック・ブラックのダメさ加減は、映画でも散々描かれるのですが、後にルチャの相棒となるベジタリアンの奇人レスラー・“エスクァルト(エクトル・ヒメネス)”の登場が、映画を更に脱線させていく。珍妙な特訓を延々と繰り返し、リング上の試合風景も至ってシュールで、ミゼット・プロレスの歴史にフタをしている日本で、カットなしで上映できるのか?と思わせるほど。

 それでもこの映画は最後に至って感動をもたらすのだ。

 それは、ここに描かれているのが“プロレス”ではなく、“ルチャ・リブレ”だからだ。便宜上ルチャをメキシコのプロレスとして紹介したが、形式上プロレスとして行われている“ルチャ・リブレ”だが、メキシコ人にとってその意味合いはもっと大きいものである。
 スペイン人の侵略を受けるまで、インカやマヤの古代文明を受け継いできたメキシコのインディオたちは、独自のアステカ文明を築き上げていた。古代の神々の子孫たる彼らは、スペイン人の圧政に立ち向かう時、アステカの戦士として果敢に戦ったのだ。彼らは戦いの前に顔にペイントを施したり、仮面を被ったりしたといわれ、現代の“ルチャドール”たちのほとんどが覆面姿であることも、この故事に由来する。
 だからこそ“ルチャ・リブレ”は、いち“プロレス”の範疇を越えた神聖さを持ちえているのだ。日本で喩えるなら“能”や“神楽”の方が近いか?

 ボンクラのジャック・ブラックが闘う理由は、子供たちのためであるのだが、もうひとつはボンクラの自分自身を救うためだ。先輩修道士から嫌がらせを受ける毎日や、やり甲斐ゼロの炊事係りの暮らしを変え、憧れの尼僧に認めて貰うこと。スーパースター“ラムゼス(新日に来日経験もあるシルバー・キングが演じる)”への挑戦権を得たジャック・ブラックが、絶対不利の中で掴み取る勝利、そこに“ルチャ・リブレ”本来の意味が存在している。“ルチャ・リブレ”とはスペイン語で“自由なる戦い”という意味なのである。

 ジャック・ブラックの役名“イグナシオ”にも注目しておこう。

 “イグナシオ”と聞いてピンとくるのは、イエズス会を設立したイグナシオ・デ・ロヲラである。カトリックの男子修道会としてスタートしたイエズス会は、その強硬にして清廉、貞潔な姿勢から“教皇の精鋭部隊”として恐れられた。
 そう呼ばれるだけには理由もあって、イグナシオ・デ・ロヲラは軍隊出身の“戦士”なのであった。“イグナシオ”の名前を与えられたジャック・ブラックが、“戦士”として、古代アステカの神の化身“ルチャドール”に変身し、“自由なる戦い”を求めて戦うというのが、この『NACHO LIBRE/ナチョ・リブレ覆面の神様』の本質だ。

 もうひとつ。

 イエズス会の目的のひとつは「神の、より大いなる栄光のために」というものである。ここにこの映画のモデルとなった、フライトルメンタの精神も生きているではないか!彼がリング上で子供たちのために流した無償の血こそ、「神の、より大いなる栄光のために」そのものであったのだから。

「Mako」 [2006年08月07日(月)]

「Mako」

 2006年7月21日、アメリカ・ロサンゼルスにおいてひとりの俳優がこの世を去った。

 男の名は“Mako”。本名は岩松信、だが通称・マコ岩松としての方が有名。日系俳優と紹介されることが多いのだが、兵庫県神戸市に生まれた、れっきとした日本人である。

 アメリカ国籍を取得していたこと、日本の芸能界ではほとんど活躍しなかったことから、日本ではあまりその足跡は知られておらず、死後のニュースでも日系俳優として扱われているのを見るにつけ、この国は“文化”というものを蔑にしていると憤りを感じる。
 いささか個人的な経験ながら、アメリカ政府の施設で働く私は、マコ岩松死去のニュースが流れた日、職場で多くのアメリカ人から「残念だったな・・・いい俳優だったのに」と声をかけられた。その施設で働く日本人従業員のほとんどが、同様に多くのアメリカ人から俳優“Mako”の思い出について話かけられたが、そこで彼のことを知っていた日本人は、私を含めて二人しかいなかった・・・・。

 岩松信は、1933年12月10日に兵庫県神戸市に生まれた。両親は共に画家で、中でも父の八島太郎は著名な絵本作家として知られている。鹿児島県南大隈町出身の八島太郎は、戦前のプロレタリア運動家としての顔を持ち、思想犯として度々投獄された過去を持つ。
 '30年代は急速に軍部の勢力が強まっていく時期だ。文部省内部に「思想問題研究会」が儲けられ、軍部や内閣は、右傾化していく日本に反対する思想の持ち主に容赦はなかった。'37年に日華事変が起こり、翌'38年には国家総動員法が敷かれ、国際連盟を脱退し日独伊三国同盟を成立、日本を国際社会から孤立させた。

 '39年、アメリカが日米通商条約の破棄を通告したその年に、幼い岩松信は祖父に預けられた。思想犯として日本にいられなくなった両親が渡米したためだが、もう数年遅れていたら岩松信自身の人生も大きく変わっていたのではないか?
 日本が真珠湾を攻撃するのは2年後の1941年である。

 戦後、両親を頼って渡米した岩松信は、太平洋戦争後のアメリカで人種差別に苦しみながらも建築家を目指す。ブロードウェイの舞台装置の仕事をしているうちに演劇の世界に魅せられていった岩松信は、朝鮮戦争の勃発と共に徴兵されたものの、この戦争に従軍したことで生まれ故郷・日本の土を踏む機会を得る。この時の従軍経験が、彼にアメリカ国籍の取得をもたらし、以後の彼はアメリカを本土とするのだ。

 除隊後、ウィリアム・ホールデンやジーン・ハックマンも学んだ「パサディナ・プレイハウス」で演技を学び、オフ・ブロードウェイ、ブロードウェイと順調にキャリアを重ねていったが、やはり人種の壁は彼に厚く圧し掛かった。
 '65年、東洋人俳優の認知と、その地位向上のため「東西劇団/East West Players」をロサンゼルスで旗揚げ。その主催者として米国内における東洋人俳優のために仕事の機会を与え、自らも精力的に活動することで差別と闘い続けた。

 '50年代から『戦雲』などで映画界にも進出していたが、岩松信を有名にしたのは'66年の『砲艦サンパブロ』であろう。スティーブ・マックィーン主演のこの映画で、マックィーン演じる機関兵と心を通わせる機関士ポー・ハンを演じた岩松信は絶賛され、アカデミー賞助演男優賞にノミネートされる。'76年にはブロードウェイで『太平洋序曲』に主演しトニー賞候補にも輝く一方で、TV、映画の話題作に出演。ハリウッド映画の東洋人といえば“Mako”と言われるまでになる。

 ここまでが、あまり知られていない岩松信のちゃんとした経歴だ。

 このHPでは、彼のもうひとつの偉大な足跡にもスポットを当てたい。

 『戦雲』『砲艦サンパブロ』でマックィーンと共演、'67年にはTV「グリーン・ホーネット」の第10話「火を吐く空手/The Praying Mantis」において若き日のブルース・リーと共演。“洪家拳”を使うブルース・リーと、“螳螂拳”で闘うチャイナタウンの大物を演じた(アクション・シーンの一部はダン・イノサントの吹替)。

 『キラーエリート』でサム・ペキンパーの薫陶を受け、リーの死後低迷を続けたアメリカン・マーシャル・アーツ・ムービーの継承に一役買ったのを手始めに、『武士道ブレード』では千葉真一、三船敏郎、ジャッキーのアメリカ進出第一弾『バトルクリーク・プロー/The Big Brawl』、チャック・ノリスのブレイク直前作『香港コネクション』、ブランドン・リーとはTV「カンフー・ファイター」で、マーク・ダカスコスとは『クライング・フリーマン』で共演した。
 更に『コナン・ザ・グレート』とその続編『キング・オブ・デストロイヤー』では、アーノルド・シュワルツェネッガーに付き合い、『パレット・モンク』では周潤發とも共演しているのだ。

 アメリカン・マーシャル・アーツ・ムービー史の主要な場面には必ず岩松信が立ち会ったと言っていいだろう。

 果たして、世界レベルで見渡してもこれだけのアクション・スターと共演した俳優はいるだろうか?

 否!

 これは世界中の俳優の中で、岩松信のみが持つ栄光の足跡なのである!

 ところが、わが国はこの偉大な俳優を無視し続けた。マックィーン、ブルース・リーから、ジャッキー、シュワまで、彼らの話しを聞くだけでも、それは映画史的遺産であるはずなのに、俳優“Mako”をまともに取り上げるマスコミは皆無であったと言ってよい!

 彼は最早この世に無く、俳優“Mako”の生涯と共にその全てが失われてしまった。

 '95年に父の故郷・南大隈町を訪れた岩松信は、画家・八島太郎の遺作展に協力。懐かしい故郷の親戚などと旧交を温める一方で、アメリカでも父の遺作展を開いた。同展開催の式典で、父の作品である絵本「からす太郎」を、人形を使いながら朗読してみせたというし、「道草いっぱい」という作品の翻訳出版も手掛けた。「東西劇団」も支援し続け、今春の記念講演に出演予定だったが、4月から体調を崩し入退院を繰り返していたため出演は適わなかった。

 遺作は『SAYURI』ということになるが、東洋人俳優が大挙として出演したこのハリウッド映画大作も、半世紀に渡る俳優“Mako”の活躍なくしては有り得ないことであっただろう。

 合掌
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