『Talladega Nights:The Ballad of Ricky Bobby』 [2006年08月20日(日)]
『Talladega Nights:The Ballad of Ricky Bobby』'06年製作、監督:Adam Mckay、主演:Will Ferrell
この夏、アメリカ人が一番期待していた映画がコレだ!
『スーパーマン・リターンズ』や『パイレーツ・オブ・カリビアン』も期待はされていたが、基本的にこれらは子供の映画である。『Talladega Nights:The Ballad of Ricky Bobby』(以下『TN』)は、一般観客層の(←実はこれこそが笑いのタネだ)期待率という点では間違いなくNo.1だった。
期待に違わぬ大ヒットを記録中の『TN』だが、この映画を日本で理解するのは難しい。公開候補に挙がっているのかどうかも不明の現在だか、この映画の笑いの本質はアメリカ人にしか解からないものであろう。
映画の舞台となるのは“NASCAR”と呼ばれるストックカー・レースだ。現在では、野球、アメフト、ホッケー、バスケと並んで、第五のメジャー・スポーツに成長したほど人気がある。
ストックカー・レースの組織はNASCARだけではないが、現在一番人気があるのはNASCARであるため、ストックカー・レースといえばNASCARを指すのが現状だ。
NASCARは、四輪市販車を改造した車を使うレースであり、ヨーロッパで主流をなすフォーミュラカー・レースとは違う、アメリカ独自のレースである。
なんたってアメリカ人は、このアメリカ独自ってのが大好きであるから、NASCARにおいてはロードレース式のサーキットなんか走らない。少々ぶつけても大丈夫なように改造もされているが、相手にぶつけながら楕円形のコースをひたすらグルグル走るのである。これならば、どこから見ても誰が一番か判る!この単純さこそ最もアメリカ人の好む形式であろう。
アメリカ独自である点においては、野球だって、バスケットだって、アメリカン・フットボールだって同じであるが、これらはヨーロッパ形球技の改良や発展形だ。NASCARの起源こそ、アメリカ独自の最たるものであり、ここを理解していないと、映画そのものの笑いの仕組みも理解できない。
時は禁酒法時代。
1930年代のこの馬鹿げた悪法は、映画でも度々取り上げられているのでお馴染みだろう。有名なのはFBIのエリオット・ネスが、悪漢マフィア・アル・カポネと闘うTVシリーズ「アンタッチャブル」でしょうか。
そもそも何でこんな馬鹿げた法律が出来たかというと、世界大恐慌の影響なんですな。ま、“こんな時に酒なんか飲んでないで、前向きに働きなさい”ということなんでしょうけど、今にして考えれば、こんな時だからこそ飲みたいんじゃないの?って感じです。
しかし、この悪法は生き続けた。これによって一番儲けたのがマフィアで、それは「アンタッチャブル」でも描かれていますが、マフィアがかくも巨大な組織に成長したのは、実に禁酒法のおかげだったと言われているほど。
で、この禁酒法時代にマフィアが活用したのが密造酒。これにはなんと南北戦争の傷跡が絡んでいるんですよ。
南北戦争は、アメリカを二つに分けた経済戦争だったのだけど、これに敗北した南部連合は、奴隷制度を基盤にした経済活動の一切を根底から覆されてしまった訳。その傷跡から立ち直らないうちに、世界大恐慌の追い討ち。この時期の南部は絶体絶命のピンチに追いやられていたんです。
ここに眼をつけたマフィアは、彼らに密造酒作りを持ち掛ける。かつて裕福な南部の綿花農家だったところは、デカイ土地と酒を作るための納屋だけは豊富にあった。自家製ウィスキーひと箱で、家族や一族が暮らしていけるなら、誰だって密造酒に手を染める。まして、酒くらい飲みたいのは人間誰しもなのだから。
更にこの密造酒作りという行為、北部人(南部では“ガッデム・ヤンキー”と言います)が牛耳る中央政府に対し、ただの1%も税金を払わなくていいというのだから、これほど痛快なことはない!
中々NASCARまで行き当たらないんだが(笑)、彼らが登場するのはこれから。さて、密造酒が出来ました!酒飲みは南部人だけとは限らないし、全国に売った方が儲かるのはマフィアでなくとも判る事。そこで、警察やFBIの眼を掠めて、密造酒を全米に運ぶドライバーが必要となってくる。
どうせ仕事にあぶれているんだし、農場仕事ということは、かつてカウボーイだった荒くれ連中が多くいる。じゃ、俺たちで運ぶか!ということに決定!
かくして、全米を股に架ける密造酒運びが開始された。
この密造酒運びと聞いて、映画ファンならバート・レイノルズの代表作『トランザム7000』を思い出すだろう。あれこそ現代に残る“ムーン・シャイン・ドライバー”の姿を描いた映画で、“ムーン・シャイン・ドライバー”ってのが密造酒の運び屋こと。“ムーン・シャイン”つまり月影のごとくって意味だ。
バート・レイノルズ映画の歴史こそ、NASCAR成り立ちの歴史と全く同じなんですよ。この密造酒運びから始まった走りは、やがて“ムーン・シャイン・ドライバー”同士の腕試しという側面に変わってくるんです。
“ジョージアの〇〇は速いらしいぜ”、“いやテネシーの××の方が速い”この噂は当のドライバー達にも聞こえ、警察に追われている最中でも、公道で出っ喰わせば勝負を挑んだ。
やがてドライバー同士が勝手に集まって違法レースを始めるんですが、これがバートの映画だと『キャノンボール』の部分。ついにはフロリダ州デイトナ・ビーチにおいて、“ムーン・シャイン・ドライバー”同士によるレース大会が開かれるまでに。これがストックカー・レースの始まりで、だからその歴史を受け継ぐNASCARは四輪市販車を改造して行われるのだ。ちなみにバート・レイノルズが『キャノンボール』シリーズの次に出演した映画こそ、ストックカー・レースを題材にした『ストローカー・エース』。ね、ちゃんと“ムーン・シャイン”からNASCARになってるでしょ!
映画『TN』に話を戻したいが、まずはこれだけのことを理解していないと始まらないのだ。
ウィル・フェレル演じる“リッキー・ボビー”は、“ムーン・シャイン・ドライバー”である父(グレイ・コール怪演!)の血を曳き、スピード狂が高じてNASCARドライバーに。小学校時代からのポン友・ジョン・C・ライリーと共に、今日もレース場で“Shake & Baby !”。
向うところ敵なしだったが、ヨーロッパからフォーミュラ・レーサーのサーシャ・バロン・コーエンが、リッキー・ボビーを倒す為NASCARに転出してくる。
コーエンに破れ、レース中のクラッシュのトラウマから立ち直れないリッキー・ボビー、チームを解雇され、女房も寝取られた。
失意のリッキー・ボビーは、母の元に帰りピザ屋でバイト。立ち直れない我が子の為に20年間音信不通だった“ムーン・シャイン・ドライバー”の父を呼び戻す。
憧れの存在だったが、常に行方知れずだった父と打ち解けられないリッキー・ボビー、相変わらず無茶苦茶だが、息子の為にひと肌脱いだ父の協力によって立ち直り、打倒コーエンを目指してレースに復帰!
こうしてストーリーを掻い摘むと、ただのスポ根もののようだ(笑)。
生まれてから10年行方知れずで、一度だけ会った後、その後更に20年間音信不通だった“ムーン・シャイン・ドライバー”の父親という設定は、非常にコメディっぽいが、コレはあながちコメディだからという訳ではない。伝説の“ムーン・シャイン・ドライバー”ジュニア・ジョンソンは、ストックカー・レースが競技として確立されてからも密造酒を運び続け、懲役2年の実刑を喰らって服役。おかげで彼はNASCARには優勝していない。そしてジュニア・ジョンソンの父親も、64年の生涯のうち20数年をム所で暮らした筋金入りの密造酒業者だった。リッキー・ボビーのような関係を実践していた人物、というより、彼らが映画のモデルと考えていいだろう。
ところでカーレースの世界には、ほとんどといっていいくらい黒人レーサーが存在しないのをご存知?ヨーロッパ貴族の流れを組むモータースポーツは、やはり金持ち(それもハンパねぇ金持ち)のスポーツで、金持ちであるだけでなく出自などもうるさいため、黒人の入り込む余地などないのが現状。
南部“ムーン・シャイン・ドライバー”の流れを組むNASCARにいたっては、レーサーはおろか、観客席にすら黒人の姿は見えない。他のモータースポーツなら、観客席くらいは座っていそうなもんだが、NASCARの会場で黒人を見かけることは、本当に稀(少なくとも私は見たこと無い)である。
ここが映画『TN』最大のキモなのだ。映画にはマイケル・クラーク・ダンカン演じるメカニックが登場するが、これはハリウッド映画としての政治的配慮という意味でのキャスティングだ。
一般的な貧しい白人(ホワイト・トラッシュのことではない、貧しい白人は何でもかんでもトラッシュ呼ばわりするのは間違っている!)、これは南部人には限らないが、差別には無自覚だが、やはり彼らは黒人に対して無意識な差別感を持ち続けているのが動かしようの無い事実だ。
映画『TN』にもその白人層に存在する無意識の差別が根底に流れており、映画はそんな白人たちの生き方そのものを豪快に笑い飛ばすのである。
NASCARファンが保守的であることを証明するデータとして、観客層の年齢幅が50代〜30代のみが圧倒的に多いということも挙げられている。
NASCARが五大メジャー・スポーツに成長しようと、それを見るのは白人たちだけである。彼らにとってここが、他のスポーツのように黒人の進出を受けない、白人に残された最後のフロンティアであるからだ。
映画『TN』にとっては、これだけのバックグラウンドを元に、バカで保守的な白人層に突きつける刃が、コメディとしての最大の武器であり、ここを理解していなければ、ちょっとふざけたレース映画、くらいにしか思われない。日本で公開されたとしても、恐らくはそういう評価で終わるだろう。
映画の企画を立て、脚本も自ら書いて主演したウィル・フェレルは、TV「SNL」出身の人気コメディアン。長身のオール・アメリカン・ボーイ・タイプでありながら、徹底的にボケに徹する様は、彼が「SNL」出身の偉大なる先輩チェビー・チェイスの正統な後継者であること物語る。
監督のアダム・マッケイもフェレルが「SNL」出演している当時からつるんでいる仲間で、フェレルの持ち味を最大限に発揮させ、彼の代表作に仕上げた。
フェレルがチェビー・チェイスのタイプということは、十中八九、日本では人気は出ないことを意味しているが、音楽の使い方も絶妙、各出演者全員が怪演を見せ、迫力のレース場面が展開されるスーパー・コメディ『Talladega Nights:The Ballad of Ricky Bobby』、願わくば日本のスクリーンでも公開されんことを!
この夏、アメリカ人が一番期待していた映画がコレだ!
『スーパーマン・リターンズ』や『パイレーツ・オブ・カリビアン』も期待はされていたが、基本的にこれらは子供の映画である。『Talladega Nights:The Ballad of Ricky Bobby』(以下『TN』)は、一般観客層の(←実はこれこそが笑いのタネだ)期待率という点では間違いなくNo.1だった。
期待に違わぬ大ヒットを記録中の『TN』だが、この映画を日本で理解するのは難しい。公開候補に挙がっているのかどうかも不明の現在だか、この映画の笑いの本質はアメリカ人にしか解からないものであろう。
映画の舞台となるのは“NASCAR”と呼ばれるストックカー・レースだ。現在では、野球、アメフト、ホッケー、バスケと並んで、第五のメジャー・スポーツに成長したほど人気がある。
ストックカー・レースの組織はNASCARだけではないが、現在一番人気があるのはNASCARであるため、ストックカー・レースといえばNASCARを指すのが現状だ。
NASCARは、四輪市販車を改造した車を使うレースであり、ヨーロッパで主流をなすフォーミュラカー・レースとは違う、アメリカ独自のレースである。
なんたってアメリカ人は、このアメリカ独自ってのが大好きであるから、NASCARにおいてはロードレース式のサーキットなんか走らない。少々ぶつけても大丈夫なように改造もされているが、相手にぶつけながら楕円形のコースをひたすらグルグル走るのである。これならば、どこから見ても誰が一番か判る!この単純さこそ最もアメリカ人の好む形式であろう。
アメリカ独自である点においては、野球だって、バスケットだって、アメリカン・フットボールだって同じであるが、これらはヨーロッパ形球技の改良や発展形だ。NASCARの起源こそ、アメリカ独自の最たるものであり、ここを理解していないと、映画そのものの笑いの仕組みも理解できない。
時は禁酒法時代。
1930年代のこの馬鹿げた悪法は、映画でも度々取り上げられているのでお馴染みだろう。有名なのはFBIのエリオット・ネスが、悪漢マフィア・アル・カポネと闘うTVシリーズ「アンタッチャブル」でしょうか。
そもそも何でこんな馬鹿げた法律が出来たかというと、世界大恐慌の影響なんですな。ま、“こんな時に酒なんか飲んでないで、前向きに働きなさい”ということなんでしょうけど、今にして考えれば、こんな時だからこそ飲みたいんじゃないの?って感じです。
しかし、この悪法は生き続けた。これによって一番儲けたのがマフィアで、それは「アンタッチャブル」でも描かれていますが、マフィアがかくも巨大な組織に成長したのは、実に禁酒法のおかげだったと言われているほど。
で、この禁酒法時代にマフィアが活用したのが密造酒。これにはなんと南北戦争の傷跡が絡んでいるんですよ。
南北戦争は、アメリカを二つに分けた経済戦争だったのだけど、これに敗北した南部連合は、奴隷制度を基盤にした経済活動の一切を根底から覆されてしまった訳。その傷跡から立ち直らないうちに、世界大恐慌の追い討ち。この時期の南部は絶体絶命のピンチに追いやられていたんです。
ここに眼をつけたマフィアは、彼らに密造酒作りを持ち掛ける。かつて裕福な南部の綿花農家だったところは、デカイ土地と酒を作るための納屋だけは豊富にあった。自家製ウィスキーひと箱で、家族や一族が暮らしていけるなら、誰だって密造酒に手を染める。まして、酒くらい飲みたいのは人間誰しもなのだから。
更にこの密造酒作りという行為、北部人(南部では“ガッデム・ヤンキー”と言います)が牛耳る中央政府に対し、ただの1%も税金を払わなくていいというのだから、これほど痛快なことはない!
中々NASCARまで行き当たらないんだが(笑)、彼らが登場するのはこれから。さて、密造酒が出来ました!酒飲みは南部人だけとは限らないし、全国に売った方が儲かるのはマフィアでなくとも判る事。そこで、警察やFBIの眼を掠めて、密造酒を全米に運ぶドライバーが必要となってくる。
どうせ仕事にあぶれているんだし、農場仕事ということは、かつてカウボーイだった荒くれ連中が多くいる。じゃ、俺たちで運ぶか!ということに決定!
かくして、全米を股に架ける密造酒運びが開始された。
この密造酒運びと聞いて、映画ファンならバート・レイノルズの代表作『トランザム7000』を思い出すだろう。あれこそ現代に残る“ムーン・シャイン・ドライバー”の姿を描いた映画で、“ムーン・シャイン・ドライバー”ってのが密造酒の運び屋こと。“ムーン・シャイン”つまり月影のごとくって意味だ。
バート・レイノルズ映画の歴史こそ、NASCAR成り立ちの歴史と全く同じなんですよ。この密造酒運びから始まった走りは、やがて“ムーン・シャイン・ドライバー”同士の腕試しという側面に変わってくるんです。
“ジョージアの〇〇は速いらしいぜ”、“いやテネシーの××の方が速い”この噂は当のドライバー達にも聞こえ、警察に追われている最中でも、公道で出っ喰わせば勝負を挑んだ。
やがてドライバー同士が勝手に集まって違法レースを始めるんですが、これがバートの映画だと『キャノンボール』の部分。ついにはフロリダ州デイトナ・ビーチにおいて、“ムーン・シャイン・ドライバー”同士によるレース大会が開かれるまでに。これがストックカー・レースの始まりで、だからその歴史を受け継ぐNASCARは四輪市販車を改造して行われるのだ。ちなみにバート・レイノルズが『キャノンボール』シリーズの次に出演した映画こそ、ストックカー・レースを題材にした『ストローカー・エース』。ね、ちゃんと“ムーン・シャイン”からNASCARになってるでしょ!
映画『TN』に話を戻したいが、まずはこれだけのことを理解していないと始まらないのだ。
ウィル・フェレル演じる“リッキー・ボビー”は、“ムーン・シャイン・ドライバー”である父(グレイ・コール怪演!)の血を曳き、スピード狂が高じてNASCARドライバーに。小学校時代からのポン友・ジョン・C・ライリーと共に、今日もレース場で“Shake & Baby !”。
向うところ敵なしだったが、ヨーロッパからフォーミュラ・レーサーのサーシャ・バロン・コーエンが、リッキー・ボビーを倒す為NASCARに転出してくる。
コーエンに破れ、レース中のクラッシュのトラウマから立ち直れないリッキー・ボビー、チームを解雇され、女房も寝取られた。
失意のリッキー・ボビーは、母の元に帰りピザ屋でバイト。立ち直れない我が子の為に20年間音信不通だった“ムーン・シャイン・ドライバー”の父を呼び戻す。
憧れの存在だったが、常に行方知れずだった父と打ち解けられないリッキー・ボビー、相変わらず無茶苦茶だが、息子の為にひと肌脱いだ父の協力によって立ち直り、打倒コーエンを目指してレースに復帰!
こうしてストーリーを掻い摘むと、ただのスポ根もののようだ(笑)。
生まれてから10年行方知れずで、一度だけ会った後、その後更に20年間音信不通だった“ムーン・シャイン・ドライバー”の父親という設定は、非常にコメディっぽいが、コレはあながちコメディだからという訳ではない。伝説の“ムーン・シャイン・ドライバー”ジュニア・ジョンソンは、ストックカー・レースが競技として確立されてからも密造酒を運び続け、懲役2年の実刑を喰らって服役。おかげで彼はNASCARには優勝していない。そしてジュニア・ジョンソンの父親も、64年の生涯のうち20数年をム所で暮らした筋金入りの密造酒業者だった。リッキー・ボビーのような関係を実践していた人物、というより、彼らが映画のモデルと考えていいだろう。
ところでカーレースの世界には、ほとんどといっていいくらい黒人レーサーが存在しないのをご存知?ヨーロッパ貴族の流れを組むモータースポーツは、やはり金持ち(それもハンパねぇ金持ち)のスポーツで、金持ちであるだけでなく出自などもうるさいため、黒人の入り込む余地などないのが現状。
南部“ムーン・シャイン・ドライバー”の流れを組むNASCARにいたっては、レーサーはおろか、観客席にすら黒人の姿は見えない。他のモータースポーツなら、観客席くらいは座っていそうなもんだが、NASCARの会場で黒人を見かけることは、本当に稀(少なくとも私は見たこと無い)である。
ここが映画『TN』最大のキモなのだ。映画にはマイケル・クラーク・ダンカン演じるメカニックが登場するが、これはハリウッド映画としての政治的配慮という意味でのキャスティングだ。
一般的な貧しい白人(ホワイト・トラッシュのことではない、貧しい白人は何でもかんでもトラッシュ呼ばわりするのは間違っている!)、これは南部人には限らないが、差別には無自覚だが、やはり彼らは黒人に対して無意識な差別感を持ち続けているのが動かしようの無い事実だ。
映画『TN』にもその白人層に存在する無意識の差別が根底に流れており、映画はそんな白人たちの生き方そのものを豪快に笑い飛ばすのである。
NASCARファンが保守的であることを証明するデータとして、観客層の年齢幅が50代〜30代のみが圧倒的に多いということも挙げられている。
NASCARが五大メジャー・スポーツに成長しようと、それを見るのは白人たちだけである。彼らにとってここが、他のスポーツのように黒人の進出を受けない、白人に残された最後のフロンティアであるからだ。
映画『TN』にとっては、これだけのバックグラウンドを元に、バカで保守的な白人層に突きつける刃が、コメディとしての最大の武器であり、ここを理解していなければ、ちょっとふざけたレース映画、くらいにしか思われない。日本で公開されたとしても、恐らくはそういう評価で終わるだろう。
映画の企画を立て、脚本も自ら書いて主演したウィル・フェレルは、TV「SNL」出身の人気コメディアン。長身のオール・アメリカン・ボーイ・タイプでありながら、徹底的にボケに徹する様は、彼が「SNL」出身の偉大なる先輩チェビー・チェイスの正統な後継者であること物語る。
監督のアダム・マッケイもフェレルが「SNL」出演している当時からつるんでいる仲間で、フェレルの持ち味を最大限に発揮させ、彼の代表作に仕上げた。
フェレルがチェビー・チェイスのタイプということは、十中八九、日本では人気は出ないことを意味しているが、音楽の使い方も絶妙、各出演者全員が怪演を見せ、迫力のレース場面が展開されるスーパー・コメディ『Talladega Nights:The Ballad of Ricky Bobby』、願わくば日本のスクリーンでも公開されんことを!








