旧myroom(香港電影的日常 '01/2/17〜'06/1/29)より移転。

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 ・・・・あと、リンクもフリーではないんです。すんませんなぁ。

『雍正興年羹堯』 [2007年12月20日(木)]

『雍正興年羹堯』'80年製作、監督:方翔、主演:龍方

 1972年、『精武門/ドラゴン怒りの鉄拳』を撮り終えたブルース・リーは、ゴールデン・ハーベスト(嘉禾)との二本契約を満了。

 嘉禾の鄒文懷(レイモンド・チョウ)は、続いての契約を求めたが、この頃からブルース・リーは独立に向けた動きを見せ始める。ショウブラザース(邵氏)のスタジオを訪問、『刺馬』撮影中の張徹を親友の小麒麟と共に訪ねたり、小麒麟の初主演作の製作発表会に駆けつけたりと、この無契約期間を有効に利用した。

 次作として打診された『冷面虎』を蹴ったブルースに、鄒文懷はひとつのアイディアを出した。それは、ブルースが嘉禾と共同出資で独立プロを設立するというもので、ブルースは製作面にも関わり、最終的には興行収入から直接製作費を差し引いた収益を折半するのだ。独立志向が強く、映画のイニシアティプを握りたいブルースの自尊心を突いた格好だったが、これにより独立プロ・協和公司が設立された。後にジャッキーやサモも続くことになるスター・プロの走りであることは記憶に新しい。

 次回作としてブルースが提出した企画が『細鳳』と『猛龍過江/ドラゴンへの道』。時代劇の『細鳳』を敬遠した嘉禾側が『猛龍過江』を選択、ローマ・ロケも交えて完成後、新たな企画『死亡的遊戯(仮題)』がスタートされた。それでも伝統的な時代劇を諦め切れなかったブルースは、『猛龍過江』用のスタジオ・セットで『細鳳』の衣装合わせを行っている。時代モノ武侠片の経験がないブルースに懸念を示すスタジオに、イメージを説明するために行われたらしいが、映画ではなくTVシリーズだったとの説もある。

 ブルースが武侠片を撮りたがったことは業界周知の事実(胡金銓や李翰祥とも接触したと言われる)だったからか、先の無契約期間を狙って邵氏が接触した際、張徹監督、倪匡脚本の『年羹堯』という作品がオファーされた。大胆にも邵氏のスタジオを訪れて『年羹堯』用の衣装合わせを行い、その時残されたスチールが白夜書房「ブルース・リー ドラゴン伝説」カラー・ページの写真である。

 ブルース・リーの死によってなのか、他の理由でなのかは不明だが、結果として『年羹堯』は製作されなかった。

 時は'70年代末期、自社のスター・ジャッキー・チェンをスターとするべく羅維(ロー・ウェイ)が選んだ企画が同じく『年羹堯』であった。一部にはブルース・リー用の企画がスライドしたとも言うが、そもそも邵氏版には羅維は関わっていない。羅維が嫌で『冷面虎』の出演を蹴ったブルースが、彼が関わる企画に出るとは思えない。
 ブルース・リーで企画されていた『年羹堯』という作品のことが羅維の頭をかすめた可能性までは否定できないが、歴史上の実在人物である“年羹堯”を選んだのは偶然だったのではないか?(非常に奇妙な偶然だが)

 羅維が狙っていたのは『精武門』的シチュエーションの再現だったように思われる。それは実際に完成した『雍正興年羹堯』を見ての判断であるが、悲劇の将軍・年羹堯の闘死を悲劇的に描くことで、陳眞の夢をもう一度狙ったのだろう。
 今にして思えばだが、ジャッキー主演で見たかったとも思うが、当時のジャッキーにこれをやらそうとしていた羅維のセンスの無さは、もはや神がかり的だ。わざとスターを作り出す気が無かったのではないか?とすら思えてくる。
 結局、ジャッキーも出演せずに嘉禾へと移籍、龍方主演で完成した。ジャッキーに去られた羅維は、龍方を第二のジャッキーとして売り出そうとしたらしいが、この映画を見る限りそれは微塵も感じられない。

 映画の話もしておこう。

 タイトルからも察せられるが『雍正興年羹堯』とあるからには、この映画も雍正帝モノだ。康煕帝の皇位継承問題を描いているからには『功夫皇帝/カンフーエンペラー』と同じ内容であると思っていただいて構わない。

 実在の年羹堯はこの映画のように闘死はしない。雍正帝即位後に疎まれて、失脚・自決を命ぜられるものの、誅殺はされなかったのである。長年の功に報いる雍正帝せめてもの温情だったと言われている。
 年羹堯はもうひとりの忠臣・隆科多と共に、雍正帝擁立に動いた重要人物で、年羹堯の妹は雍正帝の妃、隆科多は康煕帝の皇后の兄という非常に近い関係である。川陝総督としてジュンガル討伐を行った大将軍・年羹堯と、宮廷内部に深く食い込む隆科多は、共に漢軍[金襄]黄旗軍に属していた竹馬の友だ。
 雍正帝の皇位継承には疑問があるが、年羹堯と隆科多の二人に支えられての即位であったことは間違いない。

 即位後の雍正帝が、身近な政敵を片っ端から始末したのは有名な話で、皇位を狙う肉親の弟たちは無論、年羹堯、隆科多も処断された。忠臣二人ですら処断されたことで、雍正帝の独裁政治は確立されましたが、皇位継承に関する不正の噂にも尾ひれが付いてしまった。こんなところから、武侠片の悪役・雍正帝が誕生したといえるでしょうね。

 映画は寄る年波も近くなった康煕帝(葛天)の皇位を巡って、第四皇子(後の雍正帝・徐少強)と、第十四皇子(陳軍堡)の争いに年羹堯(龍方)が巻き込まれるところから始まる。
 この映画の年羹堯は、漢民族にして紅花会、少林寺で修業(師匠役に陳慧樓)したという人物だ。実は反清複明の野望を抱いており、清朝に食い込むことで内からの革命を狙っているというキャラクタライズがなされている。
 
 雍正帝モノに付き物の“江南八大侠”も勿論登場する。名前が判別するのは白泰官(徐忠信)と呂四娘(武文秀)。一応ちゃんと八人登場するものの、金世玉(甘鳳池?)、朱客、王慶良くらいしか顔も判別しない。

 年羹堯と出会った白泰官は、お互い同門で志を同じくすることを知ると、後日の協力を約し別れた。年羹堯は第四皇子の人物を見込んで近づき、腹心となると、もうひとりの忠臣・隆科多(李昆)と共に第四皇子を押し立てて行く。第十四皇子には鄭富雄や徐元(実字はさんずいに元)らが付いているが、数々の策謀の果てに第四皇子が即位する。

 雍正帝となった第四皇子は、かつての側近・年羹堯と江南八大侠の抹殺を目論み刺客・權永文を送る。清朝の軍勢に取り囲まれた年羹堯と江南八大侠は、雍正帝の目の前で壮絶な死を遂げる。

 映画は堂々とした武侠片で、同題材の『功夫皇帝』と比較しても些かも格落ちはしない。羅維がジャッキー主演作を製作していた頃より遥かに大作で、衣装やモブシーンにも格段に金が掛っている。
 雍正帝の即位後から、年羹堯失脚までがあっさりし過ぎの感もあるが、映画内では失脚の描かれない隆科多も、やがては同じ運命が訪れるであろうことを匂わせる演出など心憎い。
 徐忠信の武術指導によるアクション場面は素晴らしく、ジャッキー主演ならどうであったろうかを想像する楽しみもあるだろう。

 『拳精』の“鳳子”を演じた武文秀が呂四娘に大抜擢されており、案外と羅維は彼女を売り出すつもりだったのか・・・。数少ない出演作しか残さなかっただけに、気になるところだ。

『五鬼奪魂』 [2007年12月14日(金)]

『五鬼奪魂』'70年製作、監督:江冰涵、主演:江南

 江湖を騒がす悪漢・五鬼奪魂一味を倒すため、剣士・江南が苦難の道を歩む武侠片だ。

 五鬼奪魂とは、鏡使いの何維雄、鎖使いの李敏郎、黄金の義手を駆使する蘇金龍、斧使いの岳峰に、一味の首領で軽功の達人・大飛龍と呼ばれる呉炳南のこと。

 彼らの動向を探っていた江南が手傷を負い、上官府の将軍・邵羅輝宅に逃げ延びてくるOPから、上官府が五鬼奪魂に襲われ、邵羅輝の犠牲で江南のみ逃げ落ちるところまでは非常にスピーディで秀抜だ。映画のテンポはここからガクっと落ちてしまうのだが、全体的に'60年代の旧派武侠片の名残りを濃厚に漂わせており、'70年代作品らしからぬ出来に仕上がっている。

 逃げ落ちた江南は、手傷もあってか非常に弱々しく、旅の途次で様々な人間の助けを借りなければ生きられない。そこで登場するのが御転婆な江青霞と従者の蘇真平、凛々しい女剣士・李[王旋]、大飛龍のかつての師匠で、今は隠棲している柯佑民と娘の華戀、それに江南の従者・陳國鈞が従う。

 とにかく闘いの度に更に傷つく江南、あまりに弱々しくて段々と腹が立ってくるのであるが(苦笑)、何故か女性陣には大モテ。それなのに全ての女性につれない江南には、まだ見ぬ許婚と交わした約束があるからなのだった。それでも江青霞は身代りに命を落とし、華戀は涙で見送り、李[王旋]は最後まで共に闘ってくれる。

 道中の敵は五鬼奪魂だけではない。余松照を首領とする二刀流門派(王若平、金萬希など。武術指導で游天龍、龍飛の名前が見えるため、絡みのどこかにいるはず)や、大飛龍・呉炳南の近衛兵(江島、王秋雄)、毒使いの女など様々。ちなみにこの毒使い、西毒・欧陽美と名乗るのだが、このネーミングは金庸先生から苦情はでなかったのか?更にこの西毒・欧陽美、江南たちを騙す手口が「水滸傳」第十六回“呉用 生辰綱を智取す”そっくりなのだ。

 傷ついた江南はひとりはぐれ、柯佑民に助けられ養生に専念する。大飛龍・呉炳南の横暴を苦々しく思っていた柯佑民だったが、呉炳南の軽功術を破る技は授けない。堕ちたりとも呉炳南は弟子である、そんな頼みは聞けん!
 罰として大木に吊るされた江南に父の眼を忍んでそっと近寄る華戀。江南への恋心が為せる技だが、下ろしてあげるから一緒にと懇願する華戀の姿は、これまた吉川英治作「宮本武蔵」の“お通さん”そっくり。
 彼女の恋情を振り切る江南だが、それでも恋する人の為にと、呉炳南を倒す技を教えてくれる華戀であった。

 最後は李[王旋]と合流し、五鬼奪魂一味と決戦。結局は許婚も李[王旋]だったと判明してオチがつく。
 とにかく女に助けられてばかりで弱っちい江南に腹が立ち、大飛龍と呼ばれている割にデブで動きももたつく呉炳南の姿に不満はあるのだが、何となく見れてしまう映画でもある。なんでだろう?若き日の大川橋蔵の映画がこんな感じだったからかな?・・・・そうか、それでか!(笑)

 監督の江冰涵は、『鬼見愁』を監督している。その時も書いたが、郭南宏のプロデュースを受けていたり、郭南宏映画の脚本を手掛けるなど、江冰涵と郭南宏は濃厚な繋がりを見せている。

 監督作は以下の五本、

 '70
 『鬼見愁』(脚本も)
 '71
 『五鬼奪魂』
 『百忍道場』
 『獨覇天下』
 『惡報』(脚本も)

 だが、これらの作品は時に郭南宏名義としての資料が散見されたりしていたため、江冰涵は非常に謎の多い人物とされていた。

 この度、台湾映画の資料を当たっていて発見したのだが、“江冰涵”とは郭南宏と辛奇という二人の監督の共同名義であることが判明したのだ。

 ということは江冰涵名義で発表された五本の作品は、共同監督とはいえ郭南宏の作品リストに入れるべき作品であったのだ。こうなると江冰涵名義の脚本作品『育安勾魂劍』、『草上飛』、『鬼門太極』(原案も)、『鐡三角』、『中國鐡人』、『雙馬連環』、『五爪十八翻』
 同じく江冰涵名義のストーリー原案作品『劍王之王』、『廣東好漢』、『少林功夫』、『K手金剛』、『火焼少林寺』、『迷拳三十六招/連拳三十六招』、『五爪十八翻』、『五月櫻唇』、そしてプロデューサー名義でクレジットされた『姦殺О娘』も郭南宏&辛奇の共同作業だったということになる。

 郭南宏についてはクドクドしく紹介するに当たらないだろうが、ここではもう一人の辛奇について紹介しておこう。

 1924年台湾生まれ、本名・辛金傳は、日本軍統治時代の台湾で学生生活を送り、日本大学芸術学部で映画を学んだ。帰国後は「台湾省電影製片廠」の前身機関で幹事を務めたり、「台湾省地方演劇協會」の秘書を兼任する傍ら、雑誌「地方演劇」の編集に携わる。辛奇のペンネームはその時に生まれたらしく、以後彼の表舞台での活動全般で使われるようになる。

 映画界入りは'56年と、後にパートナーシップを組むことになる郭南宏よりも二年早く、最初は脚本家としてのスタートだった。
 監督デヴューも同年で、初監督作品は『甘國寶過台灣』。郭南宏のデヴューが'58年の『鬼湖/鬼湖探検記』であるから、ふたりの共同作業は先輩(年齢も11歳年上)の辛奇がイニシアティブを取っていたのではないだろうか?

 2005年に出版された黄仁の著による「辛奇的傳奇」によれば、『育安勾魂劍(“盲女勾魂劍”とあるが同じ作品だろう)』と『鬼見愁』の二本は、辛奇の作品と書かれており、共同名義ではあっても辛奇作品とするのが正しいのかもしれない。
 郭南宏とは違い台湾映画の重鎮としての活動がメインだった辛奇は、香港映画界ではほとんど作品を残していないが、ジミーの『大殺星/大殺成』や、ショウブラ武侠片『隠身女侠』を手掛けている。

 『童子功』でも触れたが、丁善璽の肝入りで台湾映画界の底上げのため、ショウブラへの留学が進められた。郭南宏、李作楠、朱延平など、後の台湾映画界を背負って立つ人材の多くが、'70年代初めにショウブラの門を叩いたのだ。もちろん辛奇もその中のメンバーだった。

 郭南宏とのコラボは'69年の『劍王之王』から、'92年の『五月櫻唇』まで続いた。二人にとって『五月櫻唇』が最後の共同作業となったのだが、同時に二人の映画界でのキャリアにとっても最後の作品となった。

 戦後の台湾映画界復興と同時に映画界入りし、台語片から國語片の変遷、ショウブラ留学を経て、台湾映画界発展に尽くした二人の関係が、つい近年まで続いていたことに嬉しい驚きを禁じ得ない。『五月櫻唇』は残念ながら未見の作品だが、二人の映画人生の集大成的作品であることを願ってやまないのだ。
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