『少林少女』興『カンフーくん』 [2008年09月21日(日)]

 思い返せば、『少林足球/少林サッカー』の日本公開は、サッカー・ワールドカップ開催に合わせて一年遅らされたものだった。
 関係者の誰もがその面白さを認めていたのにも関わらず、あまりタイアップにもならないタイアップのおかげで、公開されないのかと思って、こっちはブートVCDで公開前に観てしまったじゃんか!全くどうしてくれる!

 今年公開された『少林少女』と『カンフーくん』も、北京オリンピックに合わせて、相乗効果を狙った製作だったのであるが、そもそもサッカー繋がりだった『少林足球/少林サッカー』ならともかく、功夫と五輪には大して繋がりも無く、中国という括りだけで製作するには無謀だったのではあるまいか?

 北京オリンピックそのものも、四川大地震やチベット問題もあって、はなはだ事前の盛り上がりを欠いた。結果、興行的には何ら反映されず、相乗効果は無いに等しいものだった。

 その『少林足球/少林サッカー』正式な姉妹編である『少林少女』から話を始めよう。

 周星馳をアドバイザー兼プロデューサーに迎えた作品ではありますが、少林の達人がスポーツをやるということ、本家のメンバーだった田啓文と林子聡が出ていること以外に繋がりはない。

 そもそも『少林足球/少林サッカー』という映画は、完璧な形で完結している映画なのだ。その続編を作るという行為自体が、勘違いも甚だしい。
 周星馳本人はリップ・サービスで続編の存在を匂わせたこともあったが、『少林足球/少林サッカー』以降、7年がたっても続編など作られはしていない。
 本人は一本、一本時間をかけて別の作品を作りたいはずで、その証拠に功夫片へのオマージュ『功夫/カンフーハッスル』と、古き良き広東語映画へのオマージュだった『長江七號/ミラクル7号』の二本しか製作していないのが、『少林足球/少林サッカー』以降の七年だ。

 どんな作品として完成していたとしても、最初から『少林少女』は続編のジレンマからは逃れられない運命にあった。

 そのままサッカーの続きをやっても二番煎じ、スポーツの種目を変えてラクロスにしたところで、展開が同じならやはり二番煎じ。ではいっそのことスポーツをやらずにバトルに徹すれば、『少林足球/少林サッカー』の続編を名乗る資格は無いと非難を受ける。これがこの作品に科せられた続編のジレンマというやつだ。
 『少林少女』の問題点は正にこの点にあり、会社とトラブっていたにせよ、結局は周星馳によってすらも続編が作られなかったことの意味もここにある。

 『少林少女』が酷いのは、上に述べた問題点の全てをプチ込んでしまった上に、製作者が『少林足球/少林サッカー』の本質も、功夫映画とは何かも理解していなかったことにある。正直に言って、公開前はこれほど酷い映画になるとは思わなかった。失敗するとは、思っていましたけど・・・。

 中国で修業した柴咲コウは、帰国後に故郷の街(祖父が町道場をやっていた)を訪ねるが、道場は閉鎖、弟子たちはバラバラになっていたのを知る。一番弟子だった江口洋介が経営する中華料理屋でラクロス部の少女・張雨綺と出会い、少林拳を広めるためラクロス部に入部。
 少林の心(?)を普及させたい柴咲だったが、単独プレーの果てに部を追い出され、学園を支配する仲村トオルにに目をつけられる。

 この学園と仲村トオルが、いったい何をやりたいのかが不明で、どこかにスポーツ選手を売っていることは点描されるものの、それが具体的には何を示しているのか描かれる気配すらないのは、端から脚本が破綻していたとしか思えない。
 悪事の本質が不明慮な悪役と戦うことほど、活劇の本来あるべき姿からかけ離れたことはないと思うが、この映画はその点で続編のジレンマ以前の問題点を提示してみせる。

 何故か柴咲を自陣に引き込みたい仲村は、彼女の周囲に無差別攻撃を展開。やがては決戦へとなだれ込む。

 ここからはもうラクロスもへったくれも無くなってしまい、この映画を製作するにあたって周星馳がアドバイスした「バトルものにしてはいけない・・」という禁を破ってしまう。これでは『少林足球/少林サッカー』として始まった作品が途中から『功夫/カンフーハッスル』になってしまうのだが。

 終盤は、仲村の支配する学園中枢に乗り込む柴咲が、張徹的黒服の集団を蹴散らし、塔をひとつずつ登りながら強敵を倒していくという『死亡遊戯』そのままの展開。途中、李小龍モドキを柴咲が一発で倒すという、功夫映画ファンが観たら、およそ受け入れられない場面を挟み、最後は仲村トオルを抱きしめて御仕舞いという、スーパー脱力系エンディング。

 この映画のスタッフは、功夫映画の何たるかを全く解っておらず、周星馳が『少林足球/少林サッカー』や『功夫/カンフーハッスル』に込めた思いや、その作品が持つ意味も、これっぽっちも理解していない。

 ヒット作品の上っ面だけを真似た、最低最悪映画である。

 劇中、柴咲を始め多くの人間が口にする「少林の心」というやつにも困ったものだ。この映画では事あるごとにセリフで語られるが、それを映像で示すのが映画でしょーが!それが何か?すら具体的に演出されることがないのだから、劇中人物はおろか、観客の誰一人として「少林の心」なぞ理解できるものか!

 それらしい演出といえば、ラクロス部を追い出された柴咲が、子どもとのサッカーでチームワークを学び、改心してひとりで練習しているのを見た部員たちに許され、一緒になって太極拳を練習する場面くらい。
 こんなのは「少林の心」でも何でもないぞ!ただの友情を示すだけの演出じゃないか!
 それにだ、そもそも少林寺で少林拳を学び、「少林の心」を広めたい人間が武當派太極拳を教えるとは何事か!少林寺映画の悪役は、方世玉映画の昔から武當派と決まっているのが常識だ。
 『少林足球/少林サッカー』が素晴らしかったのは、主人公がかつての功夫片でのライバルである太極拳を流派として認め、和解の果てに協力して強敵を倒すという、伝統を踏まえた上でのストーリーだったからだ!

 『少林少女』があまりにも酷かったからか、『カンフーくん』はもう少しマシな映画だった。

 冒頭、河南省の少林寺で修業しているカンフーくんが、修行の総仕上げに三十六房に挑む姿が紹介される。河南省で三十六房・・・・もうこの辺でコケそうになったが、まあいい(苦笑)。
 最後に老師のところに行き、そこで倒すべき最強の敵を探して日本へ行くよう命じられる。この老師の姿が、有髪で白眉道人みたいで更に萎えるのだ。

 日本に着いたカンフーくんは、泉ピン子が経営する中華料理屋「幸楽」に住み込み、最強の敵を求めて近所のイジメっ子とかと闘うのだ。

 地元の少年たちとのヌルい交流やギャグなど、大人の鑑賞は考慮に入れられていない感じだが、悪の教材で子供たちを洗脳しようと企む悪役に悲しい過去があったり、ピン子の実家の問題がストーリーに直結していたりと、『少林少女』よりはずっとマシなのである。

 この映画でも度々「最強の敵」なる言葉が出てくるのだが、『少林少女』とは違い、ちゃんと具体的に映像で示す点だけでも映画としては『カンフーくん』の方が格段に上だ。
 この映画における「最強の敵」とは、己自身の乗り越えるべき心の強さであり、仲間を思う優しさこそ真の強さであることなどが、闘いを通じて描かれており、言葉だけで何も描かなかった『少林少女』のスタッフに見せてやりたいくらいだ。

 試練を乗り越えたカンフーくんは、老師の元へと帰って行ったところで映画は終わり、エンド・クレジットにはNG集も流れます。
 土日の昼とかにテレビで放送していたら、子どもにはウケそうな映画で、その点では評価してもいい。

 とにかく『少林少女』の酷さがあまりにもだったせいで、相対的に『カンフーくん』の評価が上がりましたが、どちらの作品も無理して観るには及ばないですな。

 どうしても!という方のみ、『カンフーくん』はレンタル旧作落ち、『少林少女』は地上波があるうちにTV放送された場合で、もの凄く暇があって、人生を二時間くらいなら無駄にしても良いという奇特な方のみ鑑賞されてはいかがでしょう? 

キネマ旬報 [2008年09月14日(日)]

 ちょいと古い話題で恐縮なのですが、「キネマ旬報」8月下旬号は、“ブルース・リー没後35年の今、クンフー映画が熱い!!”と題して、功夫片の特集を組んでおりました。

 表紙も『燃えよドラゴン』の李小龍、特集の第一部が“再考ブルース・リー”、第二部が“クンフー映画再熱”となっていて、日本における功夫片の歴史を辿りつつ、新作映画を取り上げて現在のクンフー映画ブームを検証している構成となっています。

 特集で取り上げられた作品は、

 『ドラゴン・キングダム』
 『カンフー・パンダ』
 『インビジブル・ターゲット』
 『カンフー・ダンク!』
 『ハムナプトラ3』の五本。

 先に公開された『少林少女』から『カンフーくん』にまで範囲を広げて、今回のブームが、世界的な流れであることを強調しています。

 だが、ちよっと待てよ、と。

 まあ、執筆陣の方々は解っていて書いたんだろうと思います。恐らくはそういう論調で書いてくれと、編集側から依頼があって、その要請に従って書いたのであろうことは、私も大人ですから想像はつきます。

 ブーム(今回のがブームだとは思わないけれど)にならなければ功夫片が語られないというのが、日本における功夫片の問題点のひとつで、今回以前だと『マトリックス』『グリーン・デスティニー』の時をブームと呼んで以来のことになりますか。

 実際のところ、欧米で最後にブームだったのは80年代のことで、それ以降は確実に文化として定着したものが、『マトリックス』へと花開いたというのが現実で、いつまでたってもアクション映画が正当に評価されないまま、いつまでもブーム頼りになってしまっている問題点を指摘されることがないまま、今回の特集本が出てしまった感があります。

 今年、各国で功夫を題材にしたり中国を取り上げた映画が多かったのは、単に北京オリンピックがあったから、中国ブーム(功夫ブームではない)がくるかもと思って足並みを揃えたにすぎない。
 そんなことは各ライター陣もお解りだったのでしょうけどね・・・。ちょっと残念な仕上がりの特集でした。

 今回ちょっと気になったのは、映画のタイトル以外“クンフー”と統一で表記されていたこと。

 手元にキネマ旬報'85年3月下旬号の功夫特集があるのですが、この頃はまだ“クンフー”と“カンフー”の表記が両方使われていて、当時の映画雑誌はみんなそうだったのですが、むしろ“カンフー”の方が多いくらいでした。

 最近は映画雑誌なんて見ることすらしなくなったため、いつ頃から“クンフー”表記で統一され始めたのか解りませんが、外国語の発音なんて絶対日本語化不可能なんだから、漢字表記出来るものは漢字にすればいいと思うのですけどね。同じ漢字文化圏なんだし。

 それにしても、かつてキネマ旬報といえば、1980年に關徳興の『黄飛鴻』シリーズや、胡金銓、劉家良の映画を紹介した香港映画特集を組んだこともあったのですが、同じ雑誌とは思えない、それほど低レベルの特集だったな。

 '80年の特集時(80年ですよ!、同じ号で『拳精』の公開情報が載っている時期!)には、“功夫映画”として統一表記、香港における『黄飛鴻』シリーズの意味や、“功夫映画”の武術指導の重要性について取り上げたことすらあるというのに!

 嗚呼、あのキネマ旬報は何処へ行ってしまったんでしょうね?

四次元殺法 [2008年09月07日(日)]

 9月3日にポニーキャニオンより「初代タイガーマスク大全集」というDVD-BOXが発売されました。

 ttp://www.ponycanyon.co.jp/tigermask/

 昭和56年4月23日のデヴュー戦から、昭和58年8月4日の最後の試合までおよそ2年4ヶ月、総試合数385試合、うちTV収録された試合は89試合。

 以前にも「猛虎伝説」というBOXが出ていて、初代タイガーの有名な試合はほとんど全部これに入っているんですよ(56試合収録)。
 今回発売のBOXは、残り33試合のうちの31試合が収録されていますが、まあ名勝負の残りみたいなもんですから、消化試合みたいなタッグマッチばっかり。

 とはいえ、いくつかの試合はマニア心をくすぐる顔合わせの試合もあり、その辺を見所として紹介しておきます。

 お薦めの試合第一位は、昭和57年1月8日に行われた“タイガーマスク&藤波辰巳&アントニオ猪木VSアブドーラ・ザ・ブッチャー&ダイナマイト・キッド&ベビーフェイス”。
 実はこの試合、fake的にはもう一度観たくて観たくてしょうがなかった試合。以前のBOXには収録されていなくて、随分とがっかりしたもんです。

 当時の背景を話しますと、この試合がタイガーのメインイベント初登場試合となります。当時の新日本プロレス(以下、新日)には、絶対的メインの猪木、No.2の藤波(長州力のかませ犬発言は昭和58年10月8日)がいましたし、タイガーの試合は視聴者を引き付けるため、番組開始時に合わせて組まれていましたから、メインに登場することはなかった。
 初のメイン、猪木とのタッグも初、ましてや相手はヘビー級のブッチャーという状況は今観ても新鮮なはず。

 プロレスはショーなのですが、やはり人間がやっている以上、感情が先走ってしまうことが多々あります。行き過ぎると、俗に言うセメント・マッチとかに発展するのですが、そこまでは行かなくても、時折見え隠れする選手の感情が爆発する瞬間に、プロレスの醍醐味があると思っています。なまじなガチの試合なんかより、こっちの方が面白い場合がありますからね。

 今回の注目点はやはりタイガーとブッチャーの絡みでしょう。実はブッチャーは新日移籍後初の猪木とのシングルマッチを28日に控えており、子ども騙しのJrの選手になんか構っていられないという態度がアリアリなんですよ。ドロップキックは片手で払いのけるは、フライング・クロスチョップはまともに受けないは、場外乱闘ではタイガーをボコボコ。タイガー側から見ればいいとこなしの試合なんですが、ちょいと緊張感の漂ういい場面満載の試合。一瞬だけど猪木とキッドという珍しい絡みも実現するし、この試合だけで“買い”なんですよこのDVD。

 同様のタッグでタイガーがメインに登場した例は他にもありますが、以前のBOXに収録されていた“タイガー&藤波&猪木VSスティーブ・ライト&ドン・ムラコ&マスクド・スーパースター”や、惜しくもTV収録されなかった“タイガー&長州(!)&猪木VSブレット・ハート&ビリー・グラハム&ワフー・マクダニエル”なんて試合も記録に残っています。

 お薦めの試合第二位は、昭和57年3月4日のスティーブ・ライト戦。

 ライトとの試合は同年4月1日のものが以前のBOXに収録済みでしたが、今回は前哨戦の試合。
 タイガーマスクといえば、メキシコのレスラーと派手な空中戦ばっかりしていたようなイメージもあるかもしれませんが、現役時代から「メキシカンとはもう試合したくない・・・」とこぼしていたものです。
 タイガーが手が合ったのは実はヨーロッパ系の選手が多く、小林邦明や寺西勇などの日本人対決を除けば、ヨーロッパ系の選手との間に名勝負が多い。

 そもそも最大のライバルであった爆弾小僧ダイナマイト・キッド、暗闇の虎ブラックタイガー(“ローラー・ボール”マーク・ロコ)は共に英国系ですし、ピート・ロバーツ、クリス・アダムス、デイブ・フィンレー、マーティ・ジョーンズらも英国マット組。
 ドイツ圏からの刺客、カズウェル・マーチン、ボビー・ガエタノ(出身はバハマ)なんかもタイガーと好勝負を繰り広げました。

 そんな中、タイガーと合わなかったヨーロッパ系レスラーが三人(もう二人は後述)いるのですが、それがスティーブ・ライトなんですね。
 スティーブ・ライトといえば、“蛇の穴(スネーク・ピット)”出身で、ランカシャー・スタイルのキャッチ・アズ・キャッチ・キャンの申し子みたいな存在。同じく“蛇の穴”出身のピート・ロバーツはタイガーの好ライバルだったのに、どこがどう違ったのか?

 “蛇の穴”というのは、イギリス北部はランカシャー州ウィガンにあるキャッチの道場。炭鉱夫の集まる街ウィガンで、坑道のような狭い道場はいつしか“蛇の穴(スネーク・ピット)”と呼ばれるようになったという。
 創設者のビリー・ライレーによるこの地獄の道場からは、ジョー・ロビンソン、ビリー・ジョイス、カール・ゴッチ、ビル・ロビンソンから、バート・アズラティ、ブルーノ・アーリントン、ロイ・ウッドなどの欧州名レスラーを排出。タイガーのライバル達、キッド、ロコ、ロバーツ、そしてスティーブ・ライトもここの出身だ。

 この“蛇の穴”という語感が、後に梶原一騎によって漫画「タイガーマスク」の修行場“虎の穴”に使われた訳だから、本家本元の“蛇の穴”からの刺客はタイガーマスクにとって必要不可欠な存在だった。

 なのに何故かスティーブ・ライトに対するタイガー本人の評価は低くて、試合がし難かったものか、凡戦に終わっています。当時のTV放送でもこの試合はダイジェスト放送でした。その辺を今回のBOXでは確認したい。

 お薦めの第三位は、昭和57年5月21日の“タイガー&木戸修VSカルロス・ホセ・エストラーダ&ホセ・ゴンサレス戰”。

 これはもう顔合わせの妙に尽きます。栄光のディファジオ・メモリアル&ブルーザー・ブロディ刺殺犯というタッグは、二度と観れない組み合わせ。
 エストラーダがいなければ、日本におけるJrヘビー級の歴史はなかった訳ですから、タイガーとの対決は歴史の結点だったな。

 お薦め第四位は、昭和57年10月15日の“タイガー&木戸VSレス・ソントン&ジョニー・ロンドス戰”。マニア的にはこれが一番観たいのではないか?

 レス・ソントンといえば、タイガー曰くワースト試合の相手。何も出来ないしょっぱいレスラーの代表格で、タイガーにNWA.Jrのタイトルを渡しにきただけの人物といわれています。以前のBOXにその時のタイトル戦が収録されていました。
 一説には、試合前にかなりゴネてタイガーに負けるブックを嫌がった為、タイガーの中の人が随分とキレたなんて話もありますが・・・。こいつがタイガーと合わなかったもう一人の欧州系レスラー。タイガーにタイトルを奪われた後も、勝手にチャンピオンとして防衛戦を行っていた不届き者。

 ソントンなんてどうでもいいんですが、今回の目玉はジョニー・ロンドス。カール・ゴッチのライバルとして名を馳せた伝説のシューターは、外人選手が手薄な旗揚げ期の新日プロにゴッチの引きで来日。無名の外人ばっかりのシリーズで猪木がシリーズ・ノーフォール宣言をしたところ、これに怒ったロンドスは見事に猪木をフォールしてみせた。
 タイガーとの対戦時はもう50歳近い大ベテランなんですが、そのグラウンドの動きの凄さといったら・・・!必見!

 長くなったんだけど、もうひとつだけどうしても取り上げておきたいのが、昭和58年3月4日の“タイガー&星野勘太郎VSアブドーラ・タンバ&ミレ・ツルノ戰”。

 タイガーが合わなかった欧州系レスラー最後の一人が、“ユーゴの鷹”ミレ・ツルノ。
 WWU世界ジュニア王座として、国際プロレスで繰り広げられた阿修羅原との試合は、国際末期に残された永遠の名勝負のひとつ。
 この実力者が何故かタイガーとは手が合わなかった。シングルでも五回くらい闘っているんですが、タイガーが怪我で不調だったこともあって、タイトル戦はTV放映されなかったんじゃないかな?
 BOXには新旧を通じてもこの試合しか対ツルノ戰は収録されておらず、貴重な絡みとなっています。

 初代タイガーマスクの凄さは、何といっても技の安定感だった。今では、タイガー以上の難易度の技をする選手ならいくらでもいますが、みんな失敗が多い。難易度が高いから失敗するというのでは技としては失格ですよ。
 今観返しても、初代はほとんど技の失敗をしなかったし、たとえ若干のミスがあったとしても、その後のリカバリーで帳消しにしてしまえる動きが出来た。だから今観ても初代タイガーマスクの試合は綺麗なんですよ。

 後はアクロバティックな動きの後の、タイガーの目線に注目して欲しいです。回転系や飛び技の後に着地後、タイガーは必ずすぐに相手を視認しているんですよね。いくらショーといっても、プロレスは戦いを演出しているのですから、戦う相手から目を離してはいけないんですよ。今の選手はここが出来ていない。

 日本のプロレスの歴史の中で、スーパースターだったのは、力道山、ジャイアント馬場、アントニオ猪木と、初代タイガーマスクだけ。

 今回のBOXはそれを証明する、貴重な歴史の資料だと思います。

殺人狂 [2008年09月03日(水)]

 “殺人狂”・・・プロレスラーの異名は数あれど、これほどインパクトのあるものも、ちょっと珍しい。

 この異名を頂戴したのは、昭和のプロレス・ファンには懐かしいキラー・コワルスキー。ユーコン・エリックの耳をニードロップで削いだことで有名で、コワルスキーといえば“耳削ぎ”なのだ。

 野暮を承知で書かせて貰うが、このニードロップによる耳削ぎというのは伝説である。これに付随する尾鰭も含めて、コワルスキーには素晴らしい伝説が多々あったのだ。そのいくつかを紹介したい。

 '59年10月15日、モントリオールで事件は起きた。試合開始から16分21秒、ロープに足の絡まったユーコン・エリックに、コワルスキーが得意のニードロップ。身動きの取れない状態のエリックに対し落とされたニードロップは左耳を直撃。コワルスキーには即座に反則負けが宣告され、エリックは担架で運ばれた。リング上には削げ落ちたエリックの耳が残り、リングサイドのカメラマンがカメラを向けた時には、まだピクピクと動いていたという。それを見たコワルスキーは以後、肉が全く食べれなくなり、菜食主義者へと転向したという・・・。

 これが昭和のプロレスファンが聞かされてきた伝説である。

 実際はこうだ。そもそも日付からして違う(笑)。実はこの伝説、'63年に39歳で初来日の決まったコワルスキーを売り出すため、日本プロレス(当時)側が考えた売り出しのストーリーだった。そのため、来日時期の近年ということで'59年に変更されていたのである。
 耳削ぎ事件そのものは実際にあったことだが、それはコワルスキーもデヴュー間もない'52年のこと。ニードロップを落とすまでの経緯は同じだが、受身のヘタなユーコン・エリックが、不用意に顔を動かしてしまったため、リングシューズのエッジで削げてしまったという、全くのアクシデントだった。

 アクシデントとはいえ、耳が削げ落ちてしまったことは事実で、それまで本名のウォルター・コワルスキー、もしくはウォルディック・コワルスキー、ターザン・コワルスキーなどのリングネームを使っていたコワルスキーは、一夜にして“キラー”コワルスキーという大ヒールへと変貌したのである。

 このリングネーム変更にも面白い逸話がある。試合の翌日にエリックの病室へ見舞に行ったコワルスキーは、逆にエリックから「今回は俺のミスだ、だから気にするなよ」と慰められる。それを聞いて気が楽になったコワルスキーは、エリックと二人で笑い合ったのだが、たまたま病室を覗いた看護婦は、耳を削いだ当の相手がヘラヘラ笑っているのを見て、「何て冷血漢!」と翌日の新聞にコメントを載せてしまった。これによりウォルター・コワルスキーは“殺人狂”としてのプロレス人生を歩むことになったのだ。

 話はまだ続く、コワルスキーが菜食主義だったのも本当だ。それはあくまで本人独自の健康法とコンディショニング調整のためだったのだが、時期が丁度耳削ぎ事件の後だったため、これも事件と関連付けられて先の伝説に加えられたのだ。
 話はまだまだ続く、その相手のユーコン・エリックは事件から10年後、離婚問題等で精神的に追い詰められ自殺してしまったのである。これも当然のように“殺人狂”伝説を彩ることにひと役を買ってしまう。「エリックは耳削ぎ事件のトラウマから立ち直れず自殺してしまった・・・」と。

 死んだのがエリックひとりなら“殺人狂”とまでは呼ばれなかったかもしれない。インディアン・デスロックの元祖・ドン・イーグルというレスラーも、コワルスキーのニードロップで背骨を負傷させられたことがあったが、彼も自殺し、その理由がコワルスキーの“殺人狂”伝説の勲章に加えられてしまった。実際はドン・イーグルは自殺ですらなかったのだが・・・。

 初来日が39歳と、ピークを過ぎた状態であったため、私の世代ではコワルスキーの全盛期はリアルタイムでは見たことがない。初めて見たのは日本プロレスのNWAタッグリーグ戦('71)における、バディ・キラー・オースチンとのコンビだった。このバディ・キラー・オースチンというレスラーこそ、試合中にパイルドライバーで二人もレスラーを殺している本当の“キラー”だったのだが、彼の異名は“殺人狂”ではなく“狂犬”だった。

 シュートにも強かったといわれるコワルスキーは、若い時のアントニオ猪木の憧れの存在であり、ブルーザー・ブロディはそのファイトスタイルに影響を受けたと語る。彼が得意としたキングコング・ニードロップは、コワルスキーの得意技を盗んだものだった。
 猪木はコワルスキーの恐ろしさを何度も語っており、「我を忘れた時のコワルスキーは、何をしでかすか解らない恐ろしさがあった。それはシンなど足元にも及ばない迫力だった」とまで述懐している。

 コワルスキーはこの'71年の来日で猪木とシングルであたっており、インタヴューでは、「猪木にシュートを仕掛けられたので、やり返したら猪木は逃げてしまった。控え室にまで行ったがそこにもいなかった。あいつはチキンだ!」とボロクソにコキ下ろしている。猪木自身コワルスキーの恐ろしさを何度も語るくらいだから、よほど怖かったんでしょうね。

 晩年は全日本プロレスに来日、若いころから薄くなり始めた頭を随分と気にしていたそうで、この全日来日時にはマスクマンとして登場。マスクを被った理由が、「カツラが試合中にズレるから」というものだったらしく、プロレス界一の変人と呼ばれたのも肯ける。

 同じカツラ・レスラーのブルーノ・サンマルチノが、ニューヨークでチャンピオン(当時WWWF、現WWE)として売り出した頃、サンマルチノの壁として立ちはだかったのがコワルスキーだった。実はサンマルチノの師匠はあのユーコン・エリックで、かつて全米屈指の遺恨試合として鳴らしたライバルの弟子に胸を貸してやることで、コワルスキー本人はあの試合に落し前をつけたかったのかもしれない。

 サンマルチノとの抗争('74頃)がプロレスラーとしてのコワルスキー最後の花道で、'77年に引退を表明して以降は、マサチューセッツ州でレスリング・スクールを開校。現在WWEで活躍するHHHや、新日に来ているジャイアント・バーナードなどを育て上げた。

 ずっと未婚で、生涯独身を貫くかと思われたコワルスキーだったが、'06年に80歳で初婚。相手は二度も夫を亡くした未亡人という、ご婦人だったとか。
 新婚ホヤホヤといってもいいコワルスキーだったが、'08年8月30日に心不全のため帰らぬ人となった。奥さんはこれでまた未亡人となった訳だが、最後の最後まで逸話にはことかかないのが、“殺人狂”キラー・コワルスキーの生涯であった。

 ご冥福をお祈りいたします。合掌。

ロードショー休刊 [2008年09月02日(火)]

 ロードショーが休刊 11月発売の1月号で集英社は1日、月刊の映画専門誌「ロードショー」について、11月に発売する平成21年1月号をもって出版を終了すると発表した。

 同誌は昭和47年3月に創刊。国内外の映画スターのグラビアやインタビューで人気を集めた。

 発行部数は昭和50年代に一時35万5000部に達したが、最近の平均発行部数は5万部で推移していた。
 集英社は「映画情報におけるインターネットやモバイルの比重が高まるにつれ、映画雑誌が置かれた状況は年々厳しくなり、部数、広告売り上げが減少傾向にあった」としている。


ttp://sankei.jp.msn.com/entertainments/entertainers/080901/tnr0809011139002-n1.htm

 だそうです。

 初めて読んだのは74年だったなぁ・・・。創刊が72年というのは驚きですが。

 当時は第一次功夫映画ブームの真っ只中、特に李小龍関連の特集記事はライバル誌に差を付けていたせいか、私はどちらかというとロードショー派でした。
 初めて自分で買ったのは78年、『未知との遭遇』公開を特集した号だった。それまでは、親戚や近所のお兄さんのお下がりを読んでいたものです。

 80年代の集英社は、これもジャッキー人気に乗っかって商売をしていたせいか、毎号欠かさず読んでいたのはロードショー誌の方。最もこの頃になると、発刊されている映画雑誌には全部目を通していましたけど。

 80年代も後半になってくると、海外アイドルのグラビア誌的側面が強くなり、90年代には目を通すことすらしなくなりましたね。

 ジャッキーの日本における人気のバックアップには、東宝東和宣伝部とロードショー誌の力がかなり関係してくるのですが、ある時期からロードショー誌はパッタリとジャッキーを取りあげなくなりましたね。これには随分とドロドロした裏事情が絡んでいます。あまりに酷い内容なんで、ちょっと書けないですけどね。
 ちょうどジャッキー人気も落ち始めていた頃だったとはいえ、この件が無ければどうだったんでしょうか?気になるところではあります。

 時代の流れとはいえ、まさかの休刊に驚かされましたよ。ライバル誌の方はどうなるんかなぁ・・・?

'08年・夏の興行戦争〜コメディ編(2) [2008年09月01日(月)]

 昨日の続きです。

 『40歳の童貞男』がスマッシュ・ヒットとなり、一躍時の人となったスティーブ・カレル。彼も96年から「SNL」に出ているんですが、この時代は彼にとって不遇の時代。最近では「The Office」というTVのシットコムを自分で製作してヒットさせています。

 そんな彼が新作として選んだのは、往年のTV番組「それ行けスマート」のリメイク。
 ドン・アダムス主演の懐かしいスパイ・コメディですが、この番組が放送された65年当時はTVはスパイ物全盛期でして、他にも「0011/ナポレオン・ソロ」やテーマ曲が格好いい「秘密諜報員ジョン・ドレーク」、言わずと知れた「スパイ大作戦」、ロバート・ランシングの「過去のない男」は面白かったなー、そういえば「アイ・スパイ」も同じ時期か。

 TV版「スマート」は、ドン・アダムス演じるエージェント86こと、マックス・スマートが、ピリっとしたスーツ姿でフォードのスポーツ・カーに乗り込み出動するお馴染みのOPでスタート。部長のエドワード・プラットに怒られ、相棒のエージェント99(バーバラ・フェルドン)に呆れられながらも、靴に仕込んだ電話などの珍妙な小道具を駆使して共産主義と戦う30分番組でした。
 スマート役のスティーブ・カレルが、一念発起してヤル気を出し、伝説のスパイが使っていたものとして、組織のビルに展示してあるスーツや車(オリジナル・スマートの物)を使い、世界の危機を救うべく出動する場面で、往年のテーマ曲に乗せて、フォードのスポーツ・カーを走らせる場面のカット割が、TVシリーズそっくりで笑わせます。

 脚本をメル・ブルックスとバック・ヘンリーが担当していたのは有名ですが、バック・ヘンリーが書いた『卒業』の脚本でアカデミー賞を取ったのが監督のマイク・ニコルズ。マイク・ニコルズといえばマイヤーズの項で出たコメデイ劇団「SC」出身でしたが、そんなとこから今回チーフ役に抜擢されたアラン・アーキンに繋がったのかも。実はアーキンも「SC」出身なんですね。

 ダメ・スパイのスティーブ・カレルが、憧れのエージェント23(“ザ・ロック”ことドウェイン・ジョンソン)のようなスパイを目指し、エージェント99(アン・ハサウェイ)と共にロシアに潜入、数々のドジを繰り返しながら、アメリカを揺るがす陰謀を防ぐべく活躍する・・・。

 オリジナルの「スマート」は89年にオリジナル・メンバーによるTVスペシャル「それ行けスマート0086笑いの番号」があり、95年にはTV新シリーズとしても復活。エレイン・ヘンドリックス扮する若いエージェント66をサポートする役で、ドン・アダムスとバーバラ・フェルドンも出演しました。アメリカ人にとってはずっと続いてきた感のあるコメディですが、日本ではどうでしょうかね?

 今回の映画版は、スマート役のスティーブ・カレルも適役で、ギャグやアクションの配分も適度にブレンド、もしかしたら当たり役としてシリーズ化されるかも。

 期待に違わぬ面白さを見せてくれたのが、ベン・スティーラー『Tropic Thuder』でした。

 フランシス・フォード・コッポラの『地獄の黙示録』が撮影現場で相当の混乱をきたしたことは有名ですが、『Tropic Thuder』はその混乱の裏話をパロディ化して一本の映画にしてしまった。とはいってもこの映画の笑いのネタはそれだけではない。
 ベン・スティーラーの演じる元・アクション・スターは、スタローンのような筋肉系の映画シリーズに出演。人気が落ちた所で演技派転向を目指し、ショーン・ペンが演じたような知恵遅れの主人公を演じて酷評される。再起を賭けて『プラトーン』のウィリアム・デフォーのような役でタイ・ロケに参加。

 ロバート・デ・ニーロのようなアクターズ・スタジオ仕込みのメソッド演技を披露する名優役は『アイアンマン』でブレイクしたロバート・ダウニーJr。
あんまり役にのめり込み過ぎて、最早自分が誰だったのか訳が分からなくなっている男という設定で、今回は整形で黒人になっているというキャラ。
 ダウニーの役は更に凝っていて、オーストラリア人という設定なのですが、私生活は酒と女で滅茶苦茶、パパラッチに追い回されている人物。これってラッセル・クロウかメル・ギブソンがモデル。ちなみに黒人化したダウニーの顔は、『リーサル・ウエポン』シリーズのダニー・グローバーそっくり!

 ジャック・ブラックは、ひとりで何役も演じるコメディアンというエディ・マーフィーのパロなんだけど、実は強度のコカイン中毒で、一時もじっとしていられない。常に自分に注目が集まっていないと寂しくて、コカインによる躁鬱を繰り返すことで笑いを取っているデブ・コメディアンといえば、アダム・サンドラーと同期の「SNL」コメディアン・クリス・ファーレイ。

 この三人が主役なんですが、どのキャラも二つ以上がミックスされているのは訴訟対策か!?(笑)

 映画はベトナム帰還兵のニック・ノルティが書いた自伝の映画化という設定で、タイのジャングルでロケ。新人監督役のスティーブ・クーガンが、ハーベイ・ワインシュタインを思わせる冷徹なプロデューサー(誰が演じているかはお楽しみに!)に、予算超過、撮影日数超過でクビを宣告され、「本物のジャングルでリアリティあふれるゲリラ撮影をしよう・・・」というニック・ノルティの悪魔の囁きに乗ってしまうことから、悪夢がスタート。

 実はニック・ノルティは、ベトナム戦争になんか行ったことがないニセ帰還兵なんですが、これは本物のベトナム帰還兵B・G・バーケット著による「盗まれた武勲」から。彼の著書によれば、ベトナム帰還兵としてホームレスになっていたり、犯罪を犯したり、PTSDを訴えて補償金をせしめている人間のうち二千人が、実戦経験の無い後方任務か、軍隊にすら入ったことがない人間だったことが突き止められたのだ。TVや映画で見る、ベトナム帰還兵のほとんどが、ニセ帰還兵によって作られた事実が、ニック・ノルティの役に反映されている。

 ジャングルに乗り込んだのは監督、主役三人に、同じ小隊のメンバー役の新人俳優Jay Baruchelと、ラッパーから俳優に転じたBrandon T. Jackson。脚本も読まない大物俳優を批判する役回りのJay Baruchelと、黒人に成りきったロバート・ダウニーJrを批判する本物の黒人Brandon T. Jacksonを加えた一行は、タイの麻薬マフィアが支配するジャングルで、本物の戦闘に巻き込まれるのだが、映画のロケと信じ込んだベン・スティーラーはご機嫌だ。段々と状況を飲みこめてくる彼らが、タイのジャングルで見たものは・・・。

 監督も務めたベン・スティーラーも、87年から「SNL」に出演していたが、ここでの彼は人気が出ずに終わった。そういえばロバート・ダウニーJrも「SNL」85-86年組だった。
 アダム・サンドラーやマイク・マイヤーズのような「SNL」成功組の再起作VSスティーブ・カレル、ベン・スティーラーの「SNL」不成功組による興行合戦というのが、この夏の裏テーマだったということですな。

 結果は既に示した通り「SNL」不成功組の圧勝だったのですが、この興行合戦自体はコメディ・ファンにとって非常にうれしい出来事でした。実は夏前にはティナ・フェイとエイミー・ポウラー主演の『Baby Mama』があったし、未見なのですがウィル・フェレルの『Step Brothers』も夏の公開でした、そしてついこの間にエディ・マーフィーの『Meet Dave』も公開されたばかり。初夏からずっと、「SNL」新旧スターによる興行が続いた2008年という年は、長年「SNL」を追いかけてきた私には忘れられない年になりました。
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