『十大弟子』 [2008年10月18日(土)]

『十大弟子』'77年製作、監督:丁重、主演:王道

 一部資料には製作年度'79年と書いてあるものもあるが'77年が正解。'76年暮れから撮影が始められ、'77年1月29日には香港で公開されている。

 少林寺に匿われていた明朝の遺臣・劉立祖を迎えに使者・嘉凌が現れる。明朝再興を目指して活動を始める劉立祖を支援すべく、管長の柯佑民は俗家弟子・王道を護衛として指名。
 事を察知した清朝将軍・張翼は、手下に命じて劉立祖襲撃計画を実行、護衛の王道を助けるため、少林十大弟子たちが立ちあがった・・・。

 共演は他に梁家仁、高飛、黄飛龍、董[王韋](トン・ワイ)、龍方、陸一龍、嘉凱、黄冠雄など。この顔ぶれで、王道一行を待ち受ける刺客と、それを守って闘う少林十大弟子の攻防戦を一本道のストーリーで描けば、この映画は間違いなく面白くなるはずだった。

 監督の丁重は、林大超と共に郭南宏門下で修業し、助監督を経て一本立ちした人物で、この映画でも郭南宏タッチを意識して演出しているのは判る。OPの少林僧たちの演武に将軍令をかける場面から、張翼、柯佑民、黄冠雄ら郭南宏映画の役者を投入した点からも、この映画が師匠にあやかろうとしているのは間違いない。

 先に紹介した登場人物からも、この映画がオールスター映画なのは一目瞭然だろうが、それぞれを刺客側と十大弟子に振り分けたとしても、ストーリーを一本道にしさえすればそれなりの映画になったことだろう。
 ところがこの映画は、途中に張翼とトン・ワイの親子関係のエピソードや、少林寺管長の跡目争いを巡る邵羅輝のエピソード、嘉凌と陸一龍のあまり関係ないエピソードなどを挟むため、肝心の王道一行の攻防戦という本筋が停滞してしまう。

 オールスター映画であることの弊害が一番出てしまった形で、それぞれに中途半端な見せ場を与えたがために、映画そのものが中途半端に仕上がったという典型的な失敗例なのである。
 それこそ師匠の郭南宏ならば、本筋と関係のないエピソードなんかバッサリとカットし、それぞれの見せ場を最低限度に抑えた上で、オールスター映画に仕上げたことだろう。

 失敗作の烙印を押してしまったが、この顔ぶれならばアクションの方はやはりそれなりの出来で、武術指導の金銘はさすがに上手い。
 王道VS黄飛龍や、王道VS梁家仁は、高飛がまだ敵か味方か解らない状態での宿屋の乱戦で、ちょっと胡金銓の映画を思わせる。
 高飛が十大弟子の側で、最後は王道・何明暁と共に張翼に立ち向かうというラストも珍しく、そこだけでも見る価値はある。

『拳門/血門』 [2008年10月12日(日)]

『拳門/血門』'72年製作(?)、監督:呉天池、主演:ケ光榮

 この映画は決して手放しで傑作と誉めたたえられるほどの映画ではないが、色々な意味で語りどころ満載の映画なのです。ストーリー紹介がてら、順を追って解説していきます。

 冒頭、スプリットスクリーンによる出演者の紹介場面が格好いい。本編の主役であるケ光榮、唐菁、胡菌菌、劉蘭英が順次に登場し、それぞれが演武をみせる。

 横暴な日本軍の侵攻が僻地の農村まで影響を及ぼしていたことは、香港功夫ファンならお馴染みすぎる展開だろう。日本人役の唐迪を片付ける謝家莊は、顧文宗率いる武術集団。何故かタイ人ボクサーまで居候しているこの地に、顧文宗の息子・ケ光榮が帰って来た。

 その頃、白鷹率いる(子分に陳觀泰、高雄)日本人武術家が、揚武武館を標的に策動を開始していた。白鷹は殺された唐迪の仇を探していて、誰かれ構わず中国人武術家を血祭りに上げていた。

 ここでまず驚くのは陳觀泰の存在だろう。

 『拳門/血門』の香港公開は72/4/13ということになっている。陳觀泰をブレイクさせた邵氏(ショウブラザース)の『馬永貞』公開は72/2/11である。
 同年には邵氏で『水滸傳』、『仇連環』、『四騎士』を撮っている以上、72年中は邵氏の契約下にあるはずだ。
 69年に映画界入り、邵氏と独立プロを行き来していた陳觀泰だが、この72年に限って言えば、邵氏が手放すはずはない。ましてや『馬永貞』の後、こんな端役で映画に出るとは考え難い。

 この映画の製作年度にはもうひとつの点で疑問符がつく。

 実際に映画をご覧になった方ならお分かりだと思うが、独立プロ(光明電影製片公司)のB級功夫片にしては、豊富なロケーションと豪華なセットが登場する。ロケーションはさておき、セットの方は嘉禾(ゴールデンハーベスト)のものだから豪華なのは当たり前なのだ。

 嘉禾の旗揚げは71年である。72年といえば3/22に『精武門/ドラゴン怒りの鉄拳』が公開されたばかり、旗揚げ間際は会社に金が無かったにせよ、この時期に独立プロにスタジオやセットを貸し出すとは思えない。

 陳觀泰とセット問題、ここから考えうる合理的な理由はたったひとつ、『拳門/血門』は72年以前に製作されていたが、公開時期が72/4/13までズレ込んでしまったということだ。白鷹、胡菌菌、ケ光榮らが頻繁に共演していた時期も兼ね合わせると、71年中の製作というのが妥当であろう。

 それ以外の理由があったのなら、逆にそれこそ知りたいと思うが・・・。

 嘉禾のセット問題だが、こちらの方は別な可能性もないではない。当時の状況をまとめておく。

 國泰電影(キャセイ)が首脳陣の飛行機事故により経営不振に陥ったのは64年のこと。台北で行われた「アジア太平洋映画祭」に向かっていた國泰の社長・陸運濤以下、会社幹部、映画スタッフ全員がこの悲劇に見舞われた。当時、國泰とライバルの邵氏の間には合併の話が持ち上がり、協議が物別れに終わったばかりだった。
 これによりアジアでの邵氏大躍進が始まったのだが、邵氏にとっては何とも都合の良い事故であった。

 その後、國泰を引き継いだのは陸運濤の妹婿・朱國良だったが、映画には素人であったためますます経営は傾き、もともとシンガポールの映画会社としてスタートした國泰は、シンガポールの政治局面の変化にも悩まされる。
 70年に嘉禾旗揚げを控えた鄒文懷(レイモンド・チョウ)との間に合意が纏まり、嘉禾と國泰の間に提携が結ばれる。
 72年には両社で新会社が発足、國泰は新会社を東南アジアでの配給会社として展開。嘉禾作品の独占配給権を得る。

 74年に國泰は映画製作を停止、最後の作品は『大賊王』であったといわれているが、実はこの時期まで公開されていた國泰作品は全て70年までに製作された作品であった。
 ただし、マレーシアで展開していた系列会社・國泰克里斯のみ73年まで自社製作していた。

 77年、提携会社であった嘉禾にスタジオの売却が成立。

 つまり72年頃の時点では、スタジオやオープンセットは嘉禾のものではなく、國泰に所有権があったということだ。これなら独立プロに貸出しが行われていても筋は通る。

 話を映画に戻そう。

 揚武武館を潰され父を殺された胡菌菌は、父の最後の言葉を胸に叔父である顧文宗の元へ身を寄せる。
 白鷹たちも謝家莊へと狙いを定め挑戦状を送りつけ、顧文宗に重症を負わせて立ち去った。両者の決闘を見ていた町のゴロツキ・唐菁は、何やら言いたげに見守っていたが・・・。

 タイ人を指導者に迎え、仇討のため実戦特訓に入るケ光榮たち。『方世玉』映画に始まる練功小子片の萌芽がここにある。
 かつてはそれなりに鳴らした武芸者だった唐菁、ゴロツキ仲間に煽られ、酔いの勢いも手伝って白鷹に挑戦。酔っぱらったままの唐菁、その闘い方はまるで『酔拳』そのまま。練功小子片の現代版である『神打』が劉家良によって発表されたのは、75年であることは忘れてはならない。

 白鷹にはとても勝てないと悟った唐菁、逃げ出したもののケ光榮たちの様子は気になって仕方がない。実はかつて彼も揚武武館で学んだ門弟であったのだが、師匠とのちょっとした諍いから武館を飛び出し、身を持ち崩していただけだった。

 練習の様子を盗み見ていた唐菁はケ光榮に見つかり、胡菌菌によってその正体が知れる。打倒!白鷹に燃える一門は結束し、再び訓練の日々が始まる。
 白鷹の得意技である投げ技に翻弄され続けてきたが、子どもの羽根突きをみて秘策を思いつく。ここら辺りも後の練功小子片を思わせる。

 特訓の末、秘策を物にしたケ光榮と唐菁、胡菌菌と劉蘭英を連れて白鷹一味を倒すべく、今は振威武館と名を変えた揚武武館へと向かうのだった・・・。

 監督の呉天池は後に『拳門/血門』と同じ「光明電影製片公司」製作で、傑作『二龍爭珠/激突!ドラゴン対ジャガー』を撮る。

 この会社は侮れない!

格闘技大戦争 [2008年10月02日(木)]

 佐藤戦における魔裟斗のダウンは、そのラウンドが始まった直前のローキックが効いていたからでしょう。丁度、前からのローが入った時、魔裟斗は思わず脚を後ろに引いてましたから。
 これで魔裟斗の出足が止まり、打ち合いで足が揃ったところからダウンになったというのが本当のところでしょう。

 それにしてもここからの盛り返しは凄かった。とにかくリーチのある相手に対して、最初からパンチは伸びていましたけど、足が出なくなってからでもよく前に出ましたよ。
 決勝のキシェンコ戦と合わせれば8Rの激戦を闘い抜いたのですから、今回に限っては魔裟斗にケチを付ける人もいないのでは?

 そのキシェンコ戦ですが、キシェンコ自身が準決勝のサワー戦でローキックのダメージを相当に貰っていました。これがあったから、佐藤戦での激闘というハンデが、魔裟斗にとって深刻なものにならなかったのは幸いでした。
 キシェンコ戦でも魔裟斗はダウンをしてしまいましたが、正直に言ってあそこまで無理して打ち合いをしなくても、ロー主体にいけばもう少し楽に勝てたと思います。
 何が魔裟斗をあそこまでの打ち合いに駆り立てたのか、それは魔裟斗本人しか知る由もないことですけど、とにかくこの準決勝・決勝の二試合は、格闘技史上に残る素晴らしい闘いでした。

 K-1が行っている子供の大会には私は反対です。体も出来上がっていない選手に、二ヶ月に一回試合をさせ、準決勝からはワン・デイ・トーナメントで二試合もするなんて、将来的に傷害の残る子供でも出たらどうするつもりなんでしょうか。
 たしかに、2KO制で5カウントと、ある程度の配慮はされていますが、本来ならヘッドギアくらいは付けさせるべきですよ!
 スター候補のHIROYA選手は、タイへ留学して修行付けの毎日ですから、ある程度体が出来ていましたが、そうなると他の選手との差があり過ぎて、こんなマッチメイクは世界基準なら絶対に通らないものだということは、ファンも理解しておくべきです。

 こんなの放送するべきではありませんよ。

 しかしこの秋は正に“格闘技大戦争”と呼ぶに相応しいほどの興行ラッシュでした。

 9月に入って大相撲の秋場所、23日にはDREAM.6、9月27日にK-1ソウル大会、9月28日には戦國.5、昨日がk-1 MAXで、アマですが10月5日には世界柔道団体戦もあります。

 実は大相撲とDREAM.6は実際に現地で観ました。相撲はDREAM.6の前日、朝青龍の休場前になった取組です。このまま引退ということはないのでしょうが、もしかするともしかするので、貴重な取組を観れて良かったですよ。

 旧PRIDEの流れを色濃く残すDREAMですけど、かつてのPRIDE全盛期の会場の熱気を知る者から見れば、やっぱり別モノなんだという確認をした大会でもありました。
 昔はあんなに観客の集中力が途切れるようなことはありませんでしたけどね。PRIDE崩壊から2年以上が経過し、ブームのファンと様変わりがしてしまったというのが現実のようです。

 ちょうど2年前のPRIDE無差別級GP決勝は、同じさいたまスーパー・アリーナでの観戦でした。一試合も見逃すまいとする観客の視線に支配された会場は、嫌が上でもリング上の熱気を高めたものですよ。
 それがどうです、たしかにミドル級GPのベスト4に残った選手は知名度が低かった、しかしメルヴィン・マヌーフ、ゲガール・ムサシ、ホナウド・ジャカレイ、ゼルグ・弁慶・ガレシックの四選手は、いずれも劣らぬ素晴らしい選手ですよ。

 当日はGPのトーナメント三試合に、リザーブマッチを含む全12試合というラインナップで、実際のところこれも集中力が途切れる原因でもありました。主催者側としては知名度の劣るGPの参加選手をカバーするため、スーパーマッチを並べてサービスしたつもりなんでしょうけど、興行のベストは絶対に8〜9試合までです。事実、2年前のPRIDEミドル級GPでは9試合しか行われませんでした。

 昔のPRIDEファンは随分と減ってしまったという現実を突き付けられたのが、11試合目のアリスターVSミルコが終わった直後でした。
 このカードが知名度のあるカードであることは否定しませんが、旬の過ぎたミルコの試合にそもそも多くは望めません。結果はご存じのようにアリスターの急所攻撃により、ミルコが試合不能となったためノーコンテスト。
 さあ、ここから決勝戦が始まるという段になって、ぞろぞろと帰り支度を始める観客たち。かなりの人数がミルコの試合が終わった後、決勝戦も観ずに帰ってしまうなんて、興行としては失敗でしょう。

 戦國は回を重ねる毎に良くなってはいるのですが、目玉のホジャー・グレイシーが来日中止でボルテージを落としてしまったのは残念です。K-1ソウル大会も、MAXに比べて低調だったヘビー級戦線にしては好勝負の連続で楽しめました。

 本来ならばこの10月にもアメリカでジュシュ・バーネットとアンドレイ・アロフスキーの試合が行われる予定でしたが、主催者側の都合により興行がキャンセル。
 実は私、この8月にアロフスキーが来日した折に本人と会ってるんですよ。その時にはジョシュ戦のことや、予定されているヒョードルとの試合(アロフスキーはヒョードルに最も近い男と呼ばれている)、そして年末にも日本で試合する交渉をしているとの極秘情報を本人の口から聞いていたのですが、どうやら全ての計画が狂ってしまいそうで残念です。
 
 体形こそ大柄なアロフスキーでしたが、握手した手が随分と小ぶりだったのがちょっと気に掛かりました。せっかくだからヒョードルを倒してくれるよう願っているのですけどね・・・。

 視聴率も客入りも、興行の数ほど人気が無いというのが現状の格闘技界。つくづくPRIDEショックが尾を引いていると言わざるを得ない。石井館長も出所したし、年末に向けて仕掛けていくのでしょうけど、03年頃のピーク時の熱気は当分戻ってこないんでしょうね。昨日の魔裟斗の試合なんか、格闘技ファンとしては視聴率20%を上げたい位の熱戦だったんだけど。
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