生きてるんだなぁ | 2006/08/24 (Thu)

朝、駅のプラットフォームで電車を待っていると。
雨のニオイを含んだ風がすうっと通り抜けていく。

その瞬間、全身の感覚がぱっと開いた・・・というか、風を全身で感じた気がする。
なんか、自分って“生きてるんだなぁ”としみじみ思った。

そおかぁ、生きてるからこそ、涼しい風を感じられるのか。

そんな当たり前のことに感動してみたり。


いま改めて考えてみると、普段はいろんな感覚を閉じてしまっているのかなぁ、と。

たしかに、何ごとにも敏感であったとしたら、疲れ果ててしまうかも知れない。
でも、そのために“生きてるんだなぁ”という実感すら忘れてしまうというのは・・・。

もうちょっと自分を開放してもいいんじゃないかと思ってみたり。

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コメント

» たかしぼ
遊・命さん、いらっしゃいませっ。

おっしゃるように、社会に身を置いていると、感覚的なものって薄れていってしまいますよね。
あのとき、改めてそれ(感覚的なものが薄れていること)に気づきました。
気づかないうちにってのが怖いとこです・・・。

なんというか、いまの日本人はもっとメリハリがあってもいいのかな、と思います。
オンとオフをハッキリするっていうのか・・・。
いま、“オン”な人って敬遠されがちな気がするんですよね。ウザイとかいわれたりして。
他人の感動や喜びに共感し、わかちあう・・・そういうことが足りないような。
なんて、大げさかな?

(いちおう)都会にいるワケですけど、それ故に自然に対してはよけい敏感になるってのはあるかも知れません。あとは憧れのようなものとか。
でも、本当の自然はもっと強力で恐れるべきものなんでしょうけど・・・ね。

ではでは。
Commented on 2006/09/02 (Sat) 22:44

» 遊・命
ただ“惰性で”だらだらと流されるがままに生きてると
見失いがちな
“生きている”っていう実感

そういうものって“社会”の中に身を置く“人間”がだんだんと失いつつある“本能”や感覚なんかと繋がる事だと思うんですけど
たまにでも、こういうふとした“何気ない事”に
気づく“感じる”事が出来るっていうのは
生物として凄く意義のある事だと思います

閉じてしまった“感覚”を解放できる

“生”を感じられる喜びとその“違和感”めいたもの

こういう感動をもっと誰しもが“感動”できると良いですね

確かに常に全ての感覚が研ぎ澄まされていたら疲れ果ててしまうでしょうけれど
今の人間はもっと感覚を磨いていった方が良いのかもですね…

都会に暮らしていても“自然”を感じ取る事は出来るんですよね^^
Commented on 2006/08/27 (Sun) 22:44

» たかしぼ
ストレンジラブさん、いらっしゃいませっ。

仕事をやりきったとか、ゲームをクリアしたとか、そういう達成感とはまた違った、しみじみとした感覚ですね。

そうなんですよね。おっしゃるとおり、なんでもないことだけど、“あー、生きていこう”って思えるんですよね。

コメント、なんか、とても嬉しかったです。
ありがとうございます。

ではでは。
Commented on 2006/08/27 (Sun) 01:27

» ストレンジラブ
こんにちわ〜
不意に感じる生きている実感みたいな瞬間って
不思議とありますよね 
こんな感覚が明日への糧になりますね。
Commented on 2006/08/26 (Sat) 07:15

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