「幸福な食卓」 [2007年01月24日(水)]
先週、試写会で観てきました。
しかも2回も。(^^;
2回目は北乃きいちゃんの舞台挨拶があったので、
とてもラッキーでした。
顔がとてもちっちゃかったです(^^;
「幸福な食卓」

家族のつながりがテーマとなっていますが、
主人公の女の子の揺れ動く青春を描いた
とてもさわやかな青春賛歌だと思います。
かなり余談になりますが、
私は高校生時代、映画監督になるのが夢でした。
キッカケは学園祭の時、
クラスで作った映画作品。
8ミリフィルムでの撮影や編集(ビデオじゃないですよ)、
それらの作業がとても素晴らしい経験になったからです。
その時どんな話にするかをメンバーで考えた時、
私が書いて持ってきた主人公の脚本は
正にこんな感じのお話でした。
人はいつでも、
今この時がいつまでも続くのだと考えがちです。
楽しいクラスメイトとの会話も、
恋人との時間も。
でも時間と言うのは確実に刻まれていて、
当たり前だと思っていたことも少しづつ変わっていってしまう。
楽しい時間はいつまでも続くと思っていても
そうではないのだ。
出会った人たちはいつか別れが来る、
卒業もその一つだし別の何かかもしれない。
だからこそ今ある仲間との時間を大切にしよう。
そんなテーマで物語をつくりました。
…が、所詮学生作品。
時間は15分。
(フィルムのリールがそれくらいがちょうど良いので)
主人公の男女二人が、
当たり前だと思っていた関係が、
ささいな喧嘩で当たり前でなくなってしまう。
そのなかでお互いをそんな存在ではなく、
大切な存在なんだと気付いても、
時間とともにやがて学生の日々は終わる。
その象徴として私の脚本は最初、
主人公の女の子が死んでしまうところがラストでした。
やがて人はそれぞれの道を歩むのだというのを、
映画的に劇的に見せるのに“死”というラストを選んだのです。
でも制作メンバーの女の子達にこれは却下されました。
理由は悲しすぎるから、死んでしまう意味がわからない。
…まあ、クラス作品の映画ですからそうでしょうね。
結局ラストは二人で再び仲良く歩いていくシーンになりました。

この「幸福の食卓」を見たとき、
同じような感覚を感じました。
当たり前だと思っていた家族の関係。
でもそれがある朝の食卓で変わってしまって、
当たり前でなくなってしまう。
お母さんは家を出て、
お兄ちゃんは勉強をやめて農業をはじめて、
お父さんはお父さんをやめて、
そしてその状況が当たり前だと思い始めても、
やっぱり時間の経過の中で何かが少しづつ変わっていく。
人の心とは、人間とはそういうものなのだと。
クラスの友人もそう。
当たり前にいた人も、
ずっと一緒にいれると思っていたひとも、
いつかは別れがやがて訪れる。
それは人が時間の中を生きているから。
知らず知らずのうちにでも、
絶えず前に歩いているから。
この映画のラストシーン、
主人公佐和子が川原を歩くシーン。
佐和子にもいろいろな出来事があるけれど、
それでも彼女は前に向かって歩いていく。
生きていれば人は立ち止まれない。
時々後ろを振り返る事はあるけれど、
それでも確実に前を向いて歩いていく。
それが生きていくということ。
前を向いて歩いていくことで、
彼女はまた一歩大人になっていく。
映画の時間は主人公佐和子の中3の春から、
高1のおそらく1月までが描かれています。
佐和子の成長を、
最後のまっすぐ前を見る表情で感じてしまいました。

舞台挨拶の中のお話で、
佐和子を演じた北乃きいちゃんはこのシーン、
主題歌の「くるみ」を口ずさみながら歩いていたそうです。
そう思ってみたら、
このシーンも別の表情で観賞できるかもしれませんね。
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