『罪と罰』 [2010年01月25日(月)]

 年が明けたあたりから読みつづけてました。昨夜、ようやく読み終わりました。
 言わずもがな、ドストエフスキーの小説であります。この歳まで読まずにきたのですね。そうなのですよ。

 ロシア文学って長くて堅苦しくて退屈なものという偏見があったのですが、とても面白かったです。光文社の古典新訳文庫で読んだのだけど、2巻目の中ほどからは興奮しきりで読みふけっておりました。1865年当時の旧ロシアのことなどほとんど知らず、文化風俗や社会的背景も理解できていないので、どれだけ中身を読みとれたかの自信はないんですけど。

 中ほどまで読んだあたりで、まちがって学生の時分に手に取らなくてよかったと安堵し、その一方でその頃に読んでいたらもっと熱に浮かされたようにのめりこめたのかも知れないとも思いました。歳をとったものです。

 しかし、百年以上も前の小説でありながら、ひどく内容が現代的であることにとてもびっくりしました。これはドストエフスキーという作家の視線が鋭かったということなのか。この百年、人間がわずかも進歩をしていないということなのか。
 昨今しばしば耳にする、動機の不明瞭な(明かされても理解も納得も把握もできないような)無軌道とも思える事件の犯人たちには、ラスコーリニコフ症候群とでもレッテルを貼ってやればよいのではないかとさえ思ったほど。
 というか、あれやらこれやらの事件を起こした人たちがこの小説を読んでいたら、もっと違う結末が訪れていたのではないかとさえ。

 ともあれ、幸せな時間を過ごさせてもらいました。

『カギ』 [2009年11月30日(月)]

 清水博子。

 これもまた、先月のこと。明け方に話題の中心にあり、ことごとく絶賛されていたので、無性に気になり購入したしだい。
 といいながら、手に入れるのに少々難儀しました。普段立ち寄るいくつかの書店を回ったもののどこにも置かれておらず、結局普段利用しないネット書店を使うことに。それでも数日待たされました。とはいえ、やはり便利だなと今さらに思う。アナログな質なので、そうした選択肢はもちあわせていないのです。
 しかし、出向いたのはどこも複数のフロアを有する大きな書店なのですよ。あれだけの棚を並べておきながら、ほんの数年前の本がないという現状。2005年の本です。

 で、感想。
 ともかく、読んでみて。としか。
 頭悪い感じですけど、面白かったです。
 そら、絶賛されもするわと。
 はじまりが山の上ホテルだったのは、ある意味運命的? とも。
 内容は、とある姉妹の日記です。

『オブ・ザ・ベースボール』 [2009年11月30日(月)]

 表題作「オブ・ザ・ベースボール」と「つぎの著者につづく」の二編が収録された、円城塔氏の本です。

 先月、訳もわからず連れて行かれた先でお会いしたのをきっかけに手に取ってみたしだい。といっても、氏と会っていたのはうちの師匠で、僕はその場にいたってだけなのだけど。

 表題作が面白かったです。
 年に一度程度の割合で空から人が降ってくる街。主人公はその街でレスキュー隊に所属している。支給品は一本のバットだけ。というシチュエーションだけで話が進んでいく。ていうか、進むべき話もないくらい。
 このままどこまでもいけばいいと思ったころに、唐突に結末に向けて物語が動く。
 何か、本当に急激で読んでるこっちが落下してる感じ。
 最後にきれいにまとまってるのが、残念だと思ってしまった。

「つぎの著者につづく」は、文学によくある言葉とは何ぞやという命題で遊んでいる感じ。
 文章でこそできる作品だと感じながら(いや、だからこそかもしれない)、どこかで映像化してくれないかななどと思う。

『転落』 [2009年05月17日(日)]

 今朝がた文庫を読み終えたので、感想を……と思ったのだが、ちと困っている。
 本編を読み終えたままの勢いで解説を読んだら、自分が抱いた感想の大半がそこに記されていたのである。
 いや、それでも書くけど。

 永嶋恵美の本を手に取ったのは、『明日の話はしない』に続いて二作目になります。この物語も『明日の〜』とよく似たヤな話でした。
 よく似てはいるものの、肌触りは違っていて、『明日の〜』がざらざらした感じだったのに対し、『転落』はどろどろとした感じだ。ちょうど作中に登場する老人たちの病院食のような。
 ともあれ、二作続けてこうだということは、それはつまり、作者の本質がそこにあるってことだろう。
 ……いや、どうだろう。著者のブログを読んでいると、そう言いきる自信はなくなってくる。

 個人的には終章が親切すぎると感じたのですが、それはまあ好みの問題。

『たまさか人形堂物語』 [2009年02月13日(金)]

 昨夜、読み終わりました。
 もっとゆっくり読むつもりだったのですけど、ある地点から止めることができずに一気に読んでしまいました。
 雑誌連載だったためでしょうか、漱石の「吾輩は猫である」と似た構図だと感じられました。

 津原作品には、時折「ものをつくるとはどういうことか」「ものをつくる人間とはどういうものか」という事柄が出てきます。
『お菓子の家で恋がはじまる』なんてのは、ものづくりのマニュアルだと言わんばかりの内容だったし、『少年トレチア』にも『ルピナス探偵団の憂愁』にもそのような記述が散見されます。
 この作品にもそれはあり、中でも「最終公演」などはあからさまなほどにそのものであります。
 そうした理由からか、この一編には息苦しさすら感じるほど深いところを締めつけられました。

 好きなのは、「恋は恋」かな。

『ストレイジ・オーバー2』 [2009年01月15日(木)]

 てわけで、ストレイジ・オーバーの2巻です。
 正月気分のだらだらとした時間の中で読了しました。
 今回は、1巻と違いほぼ一つのエピソードで成り立っている物語。

 一言で言うと「痛い」物語(褒めてます)となるでしょうか。
 冒頭にキャラクタの能力を紹介しているショートエピソードが挿入されてるんですが、そこからして痛いんです。
 その痛さが物語の全体を被っている。そして、最後に告げられる部分もそれまでの物語の形を揺るがす痛さを伴っている。
 いや、まあ、前提からして痛いんですけど、この話。
 何ていうか、視点がドライというかストイックというか。

 文章も潔いです。ばしばし刈り込まれて、テンポよいです。
 作者自身が潔い人なのでしょう。羨ましいです。

 ただ、実は本筋が進展してないよねってのが少し気になるかしら。いや、充分成り立ってるし、いいんですがね。

『ストレイジ・オーバー』 [2008年12月31日(水)]

 年の瀬も押し詰まりに押し詰まっているのに、年賀状も書かずに読了報告であります。

 中尾寛氏のデビュー作です。といっても、以前に異形コレクションに短編が載っているのですけど。
 記憶をハッキングし、封印したり改竄したりといった能力を持つ人たちの物語。それでも、大仰な話にはならず、地に足のついた物語となっています。
 短編連作のような形態で綺麗にまとまっていました。

 ここからは、まるきりの余談なのだけれど、中尾氏とは二度会ったことがある(だからって、身内褒めをしているつもりはない。ていうか、僕は人間が小さいのでそういう人を褒めるときは、ひじょうに悔しい思いをしている)。どちらも、TY氏がらみだ。
 初めて会ったとき、氏はダンスものを書きたいというようなことを言っていた。そのため、本作の澤井奈々というキャラクタを見たときに、ああこんな風に昇華したんだとニヤリとしてしまった。

 とりあえず、年が明けたら2巻を読もう。

『明日の話はしない』 [2008年11月08日(土)]

 久しぶりにハードカヴァーを買った気がする。
 きっかけは、友人のサイトに置かれている某氏の日記だった。そこに書かれた名前を見て何となく気になって、立ち寄った書店で買った。

 明日の話はしないと、わたしたちは決めていた。
 の一文ではじまる四編の中篇連作である。
 ていうか、カヴァー折り返しに
「明日の話はしないと、わたしたちは決めていた」で始まる三つの別々な話が、最終話で一つになるとき――。
 と書かれているので、そういう話だと言ってしまっていいのかもしれない。

 面白かったのだと思う。
 普段、一冊の本を読み終えるのに十日〜二週間、下手すれば一月以上かかる僕が、二晩で読んでしまったのだから。いや、分量的なこととかあったりもするわけだけど。
 一言でいえば、「ざらりとした物語」だった。
 語り手が皆社会的弱者だからだとか、その人たちの日常がそこかしこに描かれているからとか、そういうことではなく、とにかくほのかな気持ちの悪さが張り付いている。
 そして最終話。
 話がひとつにまとまるわけだけど、そこに書かれているものはそれ以前の三篇に書かれていたもの(あるいは察せられるもの)ばかりなので、新たな事実が判明したりカタルシスが得られたりするわけではない。
 ただ、最後のページで語られる言葉に、それまで胃の底の方にたまっていたざらりとした感触が一気に這い登ってきた。ああ……。
 うん。やっぱり面白かったのだと思う。

『薪の結婚』 [2008年05月30日(金)]

 ジョナサン・キャロルの新作です。たきぎのけっこんと読みます。

 キャロル作品を読んでいて、ああキャロルだなと感じるのは、物語が予想外の方向へ(場合によっては、あらぬ方向へ)転がりだした瞬間なわけですけど、そういう意味でもまごうことなきキャロルの物語。
 第一部の終盤あたりからの流れなんか、もういったいどこへ行くんだとハラハラするしだい(褒めてます)。

 中盤から終盤への展開なんかも、とってもキャロル的で安心して読み進められる。とかって、安心してると気がついたときには、とんでもないところに運ばれちゃってるわけなんですけど。

 はるか彼方まで連れて行かれたあげく、最後数ページでおおっおおっと驚きに襲われていたら、最後の最後にさらなる驚きに見舞われたのでした。

 こういう形のオチって(キャロルにしては)珍しいんじゃなかろうか。

 いやー、幸福な読書体験でありました。
 願わくば、この幸福がいつまでも続きますように(切実に)。

『天使の牙から』 [2007年10月14日(日)]

 とんでもなくひさしぶりの小説の感想です。
 5月の末に買った本なので、読み終えるのに4ヶ月以上掛かってることになる。この夏は読書意欲がまるでわかなかったからなんだけど、それにしてもひどい読書量だな。

 てなわけで、相変わらずのジョナサン・キャロルであります。
 ワイアット・レイナードとアーレン・フォードという二人の人物におきたできごとを描きながら、死について考察していく物語です。


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