今月の「CONTINUE」の表紙は安野モヨコの「働きマン」。マンガのテーマとしては、すごく惹かれるものがある。主人公、松方の言う「
あたしは仕事したなーって思って死にたい」ってコメントには、そうじゃないんでは?と思いつつも、そう思って働いてない人(是非はともかく)とはたぶん最終的な信頼は得られないと思う。
で、それなりに視界には入ってたんだけど、どうもね、安野モヨコの絵柄がね…。「CONTINUE」読んでから、読んでみたんだけど、筋とか展開はわかるんだけど、なんてーのかな、コマ割りとかがうるさいんだな。ハチクロとかデスノみたいに、ぐおっと読む気にはならんかった。
「CONTINUE」も大辞典とか、解説的なものをみるとすごい面白そうなんだけどね、実物はどうにも肌があわん。伝聞のほうが面白い、というか。これは、別にまんがだけでなく、いろんなものであって。俺の中で「その人(物・作品)ではなく、それを紹介した人の影響」ってのが多いのね。
たとえば、ビートルズ、とか、ジミヘン(うん、パープルへイズはクールだ)、とかがそう。それぞれのすごさとか、よさ、とかは頭ではわかるんだけど、ものすごく刺さらないのね(具体的には
購買意欲がわかない)ただ、彼らのフォロワーのものはほしいと思う。例えば、ビートルズの”Help”をエクストリームがカバーしてるんだけど、ほぼ完コピだけど、もってるしね。
なんてーのかな、咀嚼しているひとの表現力に感嘆する、ってーか。ここらへんは理屈でなくて、紹介されて、するっと入るものもあるしね。なかなか難しい。
実際、てきーら的に”人生の書”といっていい「
夏への扉」はものすごい本だけど、同じハインラインの「月は無慈悲な夜の女王」とかはだめなんだよな。ひとえに翻訳者によるところが大きい。マキャフリィの「歌う船」シリーズも作品によって、翻訳者が違うので、面白さがぜんぜん違う。赤尾秀子って人の訳はめっちゃ面白いんだけどね、それ以外の人のは微妙。
同じものをみても人によってぜんぜん違う、ということを改めて実感。「CONTINUE」つながりでいえば、「超クソゲー」とかを書いてるクソげーハンターの人たちがそうね。あの人たちの文章だとすげえ面白そうだけど、おそらくは実際はそんなに笑えないはず。批評でありながら作品である、というジャンルがなりたつ、ってことですよ。